Team Hue~ベトナム・フエから高校生が発信します~③

Team Hueは、風人土(かぜひとつち)学舎の日本事務局・高木とベトナム事務局・ティエンさん、活動に関わる仲間たちで作っているグループです。5月21日の記事に続き、私たちがフエ市で行っている学習支援教室に通う高校生が撮った写真(もしくは写っている写真)を使って彼らの暮らしを紹介したいと思います。

今回は、こちらの写真。

キャプション「これはSOSという孤児院で撮った写真です。私のギタークラブのメンバーはSOS孤児院へ行って子ども達にギターを弾いてあげて交流しました。子供たちは私のギターに合わせて歌ってくれたことに興奮しました。幸せでした。私は寂しい時も嬉しい時もギターを弾いています。ギターは私の友人のようです。」

写真の真ん中で子どもたちに囲まれてギターを弾いているのが、私たちのクラスに通っている高校生です。ベトナムでは、よくアコースティックギターが売られているように思います。楽器が出来るとこんなに大きな人の輪ができる、いいものだと思います。こういった社会活動に参加してくれていることもうれしく思います。自分が好きなことでたくさんの人に喜んでもらえること、人が喜んでいるのを見て自分も幸せだと感じられること。十代のうちからこういった経験を積んでいくことは、人生の役に立っていくように思います。

 

さて、この写真から少し話を広げたいと思います。孤児院のお話です。私、日本事務局の高木がベトナムのフエ市で暮らし始めた頃、ベトナム語の先生から「弱者支援をやっていくのなら行った方がいい場所がある」と紹介された場所がありました。そこは、フエ市の郊外にあるDuc Son Pagpda という尼寺でした。

この尼寺は今から10年以上前に、ある赤ちゃんが生まれました。どんな事情があったのか分かりませんが、この赤ちゃんの存在を隠したかった大人が取った行動は「赤ちゃんを土に埋める」という残酷なものでした。埋められた赤ちゃんは力の限りに泣き、その声を聞いて赤ちゃんを掘り起こしたのが、この尼寺の尼さんたちでした。尼さんたちは、赤ちゃんをお寺で育てることにしました。この美談は新聞に載りました。その記事によってお寺の存在が知られるようになり、赤ちゃんを置いて行く人が何人も出始めました。そのため、尼寺には孤児院が併設されるようになりました。

Duc Son Pagoda, ベトナム・フエ

孤児院の食堂に飾られた写真。たくさんの子どもたちが、尼さんたちに愛情を注いでもらっている様子がわかる(2008年撮影)。

今回この記事を書くために写真を見返していたところ、壁に貼られていた名簿を撮影したものがあり、0歳児から大学生までの190名の子どもたちが共同生活を送っていたことがわかりました。私とベトナム人の友人はこの尼寺を学校の授業のある時間帯に訪れたので、孤児院の中にいるのは小学生以下の小さな子どもたちばかりでした。就学年齢の子どもたちは、孤児院から学校に通っていました。

Duc Son Pagoda, ベトナム・フエ

孤児院の壁に貼られた名簿には、190名の子どもたちの名前が書かれていた(2008年撮影)。

尼さんに説明をしてもらいながら、孤児院の中を案内してもらいました。孤児院の運営は多くの寄付金によって賄われていて、越僑(参考1)からも寄付や物資の提供を受けているとのことでした。実際、私たちが訪問した時にも、2組の越僑に出会いました。

談話室のような場所には大きなテレビが置いてあり、小さな子どもたちがディズニーの映画を観ていました。

Duc Son Pagoda, ベトナム・フエ

小さな子どもたちが映画を観ている様子。後ろに見える書棚にも、こども向きの本がぎっしり並べられていた(2008年撮影)。

子どもたちは私たちを見つけると、私たちの腕、足にしがみついてきて「もうすぐおやつの時間だから一緒に食べよう」と、ねだってきました。尼さんも、是非にと言ってくださり、子どもたちとお菓子を食べることにしました。私たちが椅子に座ると、競い合うように子どもたちは膝の上に乗ってこようとしました。ずっと私の髪の毛を触っている子もいました。

子どもたちはみんなかわいかったのですが、普通に暮らしている場面で出会う子どもたちと何かが違っていました。「スキンシップに餓えている」ことがわかりました。尼さんたちはとても大切に子どもたちを育てていますが、家庭で親が育てるのとは違います。親がいない寂しさがこういうところに出るということを実際に体験した出来事でした。

 

別の部屋に行くと明らかに何らかの障がいを持っている子どもたちがいました。友人が泣きじゃくっている一人の男の子を抱きかかえて、あやしました。やっと涙が止まって、パッっと見開いた男の子の瞳は真っ白でした。両目の視力がない男の子でした。尼さんの説明では、障がいがある子どもたちを親から託されることはとても多いとのことでした。

この孤児院では、中学校になるとタイピングとオルガンの練習を独自に始めていました。「将来、仕事につながればいいと思っています」と、尼さんは説明されていました。この訪問から、もう10年以上経ってしまったので今はまた別の職業訓練をされているのではないかと思っています。

Duc Son Pagoda, ベトナム・フエ

きれいに並べられた食堂の椅子を机。朝食と夕飯の時には、ここに子どもたちの声があふれる(2008年撮影)。

ベトナムではお寺がコミュニティのために活動している例は他にもあり、私たちの活動地にあるお寺では無償の塾を開いたりもされていました。

次回フエに帰ったら、孤児院の活動を拝見しに行きたいと思います。変な言い方になりますが、規模が小さくなっていることを願っています。

 

[ 参考 ]
1.越僑とは、海外で暮らすベトナム人のことを指す。ベトナム戦争終結後、多くの南ベトナム支援者はフランスやアメリカに逃れた。逃れた先で成功したものたちは、ベトナムに残した親族や出身地にお金や物資を送り続けている。また、現在では、ベトナム政府は「労働輸出」を貧困対策に利用している面もあり、出稼ぎ労働者として海外に行く人も増加している。世界銀行(WB)によると、2019年における越僑からの本国送金額は前年比+5%増の167億USD(約1兆8200億円)となり、過去最高を更新する見込み。(「越僑からの本国送金、19年は過去最高の1.82兆円相当に」(Vietjo,2019年12月05日))

投稿者プロフィール

Team Hue
チーム フエは、ベトナム中部のフエ市在住歴約6年の高木佳子とフエ市生まれのフィン・ティ・トゥイ・ティエン、そしてフエで暮らす高校生や大学生たちで構成されています。フエ市のことやベトナム人の暮らしの様子を写真や動画を添えて発信していきます。ご質問や「こんなことが知りたい!」というリクエストも受け付けております。