ことばの花束 『沖縄 ことば咲い渡り』全三巻(さくら、あお、みどり)を読む

 

 

 

ある夏、沖縄にフネで行った。大阪南港を夜遅く出航した大型フェリーは、次の日一日かけて四国沖から屋久島、奄美沖を通過し、次の朝早くに、那覇港に入港する。高知沖は快晴で穏やかな海だったが、夜に入ると海は少し荒れ気味になった。夜の甲板に出てみると大波が見えた。暗闇の中、その大波に乗り上げつつ前進する船を見ているのは、少し恐ろしかった。

次の朝、早く起きて甲板に出ると、島影が見えてきた。するとそこに、花の香りがただ寄ってきたのだ。海の上は、あまりにおいのない世界だ。潮の香というのは、浜辺や岸辺にいるからこそ感じるのであって、海の上にいると実は、それを感じることはない。むしろ無臭だ。そんなところに、ただよってきた花の香りはなんとも幻想的だった。

それは、森の香りともいえた。いきものの吐き出すしっとりと湿った空気に包まれた陸域。海域とは全く違う場所のにおいだった。それが花の香であったのはどうしてだろうか。ジャスミンのような、ランの花のようなゆたかな芳香だった。沖縄は、花の島である。そんなことが嗅覚を通じて記憶に残った。

 

さて、この本は、「ことば咲い渡り」と名付けられた三巻からなる沖縄の詞華集だ。詞華集とは、アンソロジーのことだが、ことばが花であるというのは、言いえて妙である。この「咲い渡り」というフレーズは、沖縄の古歌を集めた『おもろさうし』の「明けもどろの花の咲い渡り」や、「清らの花の 咲い渡る」を借用して、「花」を「ことば」に入れ替えて今回作られたものだというが、まるで、もとからあった言葉のようでもある。

この三巻は、三年間にわたって、「沖縄タイムス」に毎日連載された、沖縄の詩文の精選をまとめたもの。選者は、外間守善(ほかま・しゅぜん)、仲程昌徳(なかほど・まさのり)、波照間栄吉(はてるま・えいきち)という沖縄文学の碩学である。三巻には、それぞれ「さくら」、「あお」、「みどり」という巻名がついている。手に収まるくらいのかわいらしい本。こういう本がいままでなかったというのも不思議だが、ポケットに入れて持ち歩くことができるサイズで沖縄の詩歌を常に手元に置いて読めるのはうれしい。

 

本を開くと、そこには、ふわっと、沖縄の風景が立ちのぼってくる。収められているのは、世界創造の神話であり、恋であり、労働であり、王への称賛であり、思い焦がれる人への思慕であり、ユリの花であり、デイゴの花であり、月であり、星であり、海であり、酒を酌み交わす酒宴であり、近代の苦悩であり寂しさであり、沖縄戦の悲しさであり、あらゆる人の世と自然の風景である。それが、琉球のことばでうたわれている。

 

昔初まりや

てだこ大主や

清らや 照りよわれ

せのみ初まりに (「さくら」109ページ)

 

てだことは、太陽のことだが太陽のカミがはじめにあったという沖縄の神話の一風景である。それがうたわれている『おもろさうし』の一節だ。

 

我(わ)ぬが時 成(な)ゆん/神(かぬ)が時 成ゆん

蜻蛉(あきじ)なて 戻(むり)ら/蝶(はべる)なて 戻ら (「さくら」282ページ)

 

このうたでは、カミが、トンボやチョウにいまや変身しようとしている。カミが一人語りで、時が満ちて来たので、これからトンボやチョウになろうと告げているのだ。琉球ではカミは、美しい羽根を翻して、ひらひらと風に乗って飛ぶ。座間味島の「マセーヌスーウムイ」という豊作祈願の初穂とともに唱えられるうたの一節。

星々の世界もうたわれている。

 

ゑけ 上がる三日月や

ゑけ 神ぎや金真弓(かなまゆみ)

ゑけ 上がる赤星や

ゑけ 神ぎや金細矢(かなままき) (「さくら」21ページ)

 

これは、三日月をカミの弓であり、赤星(火星)をカミの矢じりであるとうたう『おもろさうし』から。

一方、琉球は、交易の島であった。「万国津梁」という言葉が有名だが、中国や、南蛮との交易を読んだスケールの大きなうたもある。

 

真南風(まはえ)鈴鳴りぎや 真南風(まはい)さらめけば

唐 南蛮 貢(かまえ) 積(つ)でみおやせ

追手(おゑちへ)鈴鳴りぎや 追手(おゑちへ)さらめけば (「あお」164ページ)

 

風が鈴のように鳴り、さらさらと吹くとは、なんと豊かな詩的修辞であろうか。かとおもえば、恋のうたもある。

 

月(ちぃきぃ)ぬ真昼間(まぴろま)や やんさ潮(すう)ぬ 真干(まぴ)いり

夜(ゆる)ぬ真夜中(まゆなか)や 乙女(みやらび)ぬ 潮時(しいどぅきぃ)

(「あお」165ページ)

 

昼間の干潮に対比された夜の満潮を、乙女とのあいびきの「しおどき」にかける。八重山の月の真昼節という民謡から採られた一節だ。

 

降らん雨ぬ すがん風(かじ)ぬ すぐだーどぅ

薄(ゆしぎぃ)叢(むらしぃ) かねん叢(むらしぃ)ぬ 側(すば)なんが

腕交叉(やらい)し 股(むむ)交叉(やらい)し 寝(に)ぼうるよ (「さくら」120ページ)

 

こちらは、八重山民謡の「あかんにユンタ」から採られた一節で、いつもと違う物狂おしし雨や風が吹く中を、ススキとハマゴーの叢の中で腕や股を交わらせて寝ているという情景。恋というよりも性愛そのもののドキッとさせられる光景である。

花や季節を詠んだうたも多い。とりわけ、初夏の「うりずん」と呼ばれる季節が愛されている。

 

うるじぃんぬ なりょだら

若夏(ばがなちぃ)ぬ立つだら

花や 白さ 咲(さ)きょうり

果実(なりぃ)や 青さ くぬみょうり (「みどり」92ページ)

 

若夏がなれば野辺の百草の

おす風になびく色のきよらさ (「みどり」153ページ)

 

はじめのは、石垣島宮良の「北夫婦ぬふにぶ木ゆんた」、次のは、読み人知らずの琉歌から。どちらも、島の上を、さわやかな風が吹き抜けてゆくようだ。

一方、近代に入ると、どことなく寂しげな詩歌が多くなる。

 

「買ふみそれ」と島の女は頭にのせて

ふれわたるなり真紅の花を  むらを(「あお」192ページ)

 

悲し午睡にユウナ樹の花バサと落つ  春曙 (「あお」191ページ)

 

しめやかに雨降り山羊のなくゆうべ

ひとり悲しく鍬洗ふなり  日賀石流 (「あお」129ページ)

 

カチャーシー小の糸の切れたる瞬間の

淡き淋しさ薄暗き部屋  紫煙 (「さくら」218ページ)

 

いずれも、大正から昭和初期にかけての『琉球新報』『琉球朝日新聞』から丁寧に編者の仲程昌徳が選び出した短歌・俳句だが、近代の孤独というようなものが沖縄にも訪れていたことがわかる。

そうして、沖縄戦を詠んだうたの数々。

 

故里の米須の丘よ岩陰よ

吾がいとし子の骨は何処に  上江州芳子 (「みどり」191ページ)

 

語り継ぐ人の言葉になかされり

ひめゆり、健児、魂魄の塔  舟木英一郎 (「みどり」164ページ)

 

あの戦のことを歌った詩歌は、全三巻のうち、ようやく、第三巻にあたる「みどり」で登場しはじめるのだが、それまで登場しなかったというところに、沖縄の記憶の中におけるあの戦争の記憶の語りえぬ重さというものが現れているようでもある。

 

全三巻に収録されたうたの数は約千。小さい本だが、この本は、沖縄のひとびとのこころ模様のエンサイクロペディアである。論説なら数千字を費やしても描けないものが、わずか数フレーズで立ち上ってくる。うたとは、なんと偉大なものであろうか。

本書のタイトルが言うように、ことばは花である。そういえば、ホモ・ネアンデルターレンシスはことばを持たなかったが、花というシンボルを持っていたといわれる。彼らの埋葬の場に、花があったというのはよく知られた話だ。花とことばはともにシンボルだが、その二つと人類との結びつきは人類の起源と同じくらいに長いのかもしれない。何万年、何十万年もの間、人類のイマージュの世界の中では、花とことばは混ざり合いってきた。いや、それらはそもそも、イマージュの中では、同じものなのかもしれない。

人類は、ことばを持ち運んで地球上を旅をしてきた。それは、花を持ち運ぶ旅でもあったのだろう。「ことば咲い渡り」、この本を持ち運んだら、花とことばをともに持ち歩くことができる。なんと豊かなことであろうか。

 

 

 

外間守善、仲程昌徳、波照間栄吉(編)『沖縄 ことば咲い渡り』全三巻(さくら、あお、みどり)、ボーダーインク、2020年。