ソーラーパンクはアジアで可能か? 『マルチ・スピーシーズ都市短編集』を読む

寺田さん、推薦本

 

 

スコーンと突き抜けるような青空に赤や緑や黄色の原色の羽根をまとったインコが二匹飛んでいる。その下には、緑に覆われた小さな川の流れる街並みが広がり、その街並みを見下ろすゴシックの教会を思わせる高層ビルの高みにある、クライスラー・ビルの尖塔部分に取り付けられた有名な鷲の装飾を思わせるガーゴイルの上に座ったドレッドヘアの褐色の肌の女の子がスケッチブックを広げながら、空を見上げている。女の子は、インコと会話しているようでもある。その向こうの空には、何やらタービンのような羽根がついたバルーンがふわふわと浮かんでいる。なんとも、楽し気な風景である。

 

これは、『マルチ・スピーシーズ都市短編集――ソーラーパンクの未来図』と題された、英語洋書の表紙である。表紙には、収録作家として、タイヨー・フジイ(藤井太陽)、プルヤ・サルッカイ・チャブラ、シュベタ・タネジャ、カロリーヌ・ヨアヒム、リミ・チャタルジーほかの名前が挙げられ、編者として、クリストフ・ルプレヒト、デボラ・クレランド、ノリエ・タムラ(田村典江)、ラジャ・チョウドリ、セレナ・ウリバリの名前が書かれている。編者は、研究者やアクティビストや作家。そのうち、ルプレヒトと田村は総合地球環境学研究所の研究員であった。

 

この本は、アジア太平洋地域を舞台にしたソーラーパンクの短編小説を集めたものだ。収録作家たちは、プロの作家もいるが、セミプロやアマチュアの作家もいる。小説においては、短歌や俳句の世界と同じように、プロとセミプロ、アマチュアの境界があまりない。もちろん、プロはもっぱら商業出版をするが、そのような商業出版だけを行う作家はまれで、多くは、様々な媒体に様々に書く。日本では小説を趣味で書いている人はあまりいないが、海外ではごく当たり前である。日本の大学では小説の読み方や批評の仕方を教えることは普通でも、書き方を教えることはないが、アメリカの大学では、小説の書き方を教えるコースは普通である。この短編集に収められたのも、そのような書くことを楽しんでいる作家たちの作品。アメリカ、アイルランド、ドイツ、オーストラリアなどの作家とともに、インド、シンガポール、日本、ベトナムの作家の作品が収められている。インドやシンガポールの作家の小説は、日本ではなかなか読む機会もないので、本書は貴重な場だ。

 

ソーラーパンクとは何なのか。それは、SFの一種だ。SFとは、一昔前には、サイエンス・フィクションと言われたジャンルだが、今はスペキュレイティブ・ティブフィクションと呼ばれることも多い。どちらも、略するとSFだ。スペキュレイティブとは、耳慣れない語である。スペキュレイトという動詞から来た語だが、スペキュレイトには、思考をめぐらす、推測する、沈思する、思弁するなどの意味がある。込み入った思考を行うというようなニュアンスがある。単なる思考とか想像よりももっと込み入ったシステム的思考というような語感があり、たとえば、スペキュレイティブ哲学の代表格としては、カントやヘーゲルのそれが挙げられることが多い。カントのそれも、ヘーゲルのそれも、何もないところに、概念だけで、超巨大な伽藍を組み立てるような途方もない企てだが、それを頭の中の世界だけで行っているところに特徴がある。半ば妄想とも言ってもよいかもしれないし、思考の暴走ともいえるかもしれないし、思考の限界への挑戦ともいえるかもしれない。そんな語感だが、それが、小説に応用されると、フィクション、とりわけ、ありえない世界を一から構築するようなフィクションをさす。SFとは、そのようなとてつもない試みである。だからSFは、スペキュレイティブ・フィクションともいわれる。SFがスペキュレイティブ・フィクションと呼ばれるようになった背景には、サイエンス・フィクションは、科学をベースにしてそれを行っていたが、しかし、必ずしも科学だけが、ベースになるわけでもなくなってきたこともある。だから、サイエンス・フィクションに代わって、スペキュレイティブ・フィクションという呼び方が生まれたという側面もある。どちらも、英語ではSFだが、サイエンス・フィクションはサイファイ(Sci-Fi)と書かれることも多く、区別されている。

 

そのサイエンス・フィクションであり、スペキュレイティブ・フィクションの一種に、サイバーパンクというジャンルがある。映画「マトリックス」に影響を与えたことで有名な『ニューロマンサー』のウィリアム・ギブソンや、映画「ブレードランナー」の原作になった『アンドロイドは電気羊の夢を見るか』のフィリップ・K・ディックなどの小説がそれにあたるといわれる。電脳により支配された社会で、アンダーグラウンドで生きる人間を描くというダークなテイストの小説だ。サイバーとは、サイバネティックスから来た語で、パンクとは、1970年代のイギリスが発祥のサブカルチャーのアンダーグラウンド活動から来た語で、同じ潮流にパンクロックなども属す。ソーラーパンクとは、そのサイバーパンクを批判して出てきた潮流である。サイバーパンクが描く未来は暗く、それはディストピアと呼ばれる。もちろん、サイバーパンクは、必ずしも、未来像というわけではなく、ありうべきもう一つの世界を描いているだけなのだが、それでも、ディストピアはあまり好ましくない。同じありうべき世界でも、持続可能な世界はないのか、という希求の中から生まれたのがソーラーパンクだ。ソーラーという語は、太陽であり、持続可能な未来可能性の象徴でもある。

 

本書は、そのソーラーパンクのテイストで、アジア太平洋地域を舞台にして書かれた作品を集めた短編集。アジア太平洋地域とは、生物多様性の地であり、また非欧米の価値観が息づいている地域でもある。そんな地域で書かれたありうべき世界の像は、未来社会のオルタナティブとして魅力的であるはずだという編者たちの信念によって本書は編まれている。

 

本書には24の短編小説が収録されているが、興味ぶかい実験的小説ばかりである。いきもの世界や、自然の世界の中に、先端技術が入り込むような世界が書かれていることが多いが、一方で、先端技術はなくとも、不思議な行き合わせで不思議な状況が出現しているものも多い。ハワイの海のウミガメ、ベトナムの森のトラ、シベリアの森のトラ、オーストラリアのディンゴ、コアラ、ワラビー、都会に生きる野良猫や野良犬、ネズミ、都市の地下に張り巡らされた導水路網に住むウナギ、よみがえったマンモス、深海にすむクジラ、巨大なタコ……。それらのいききものと会話することは、本書の中でごく普通である。あるいは、いきものの世界に融合することもごくふつうである。ただ、本書はスペキュレイティブではあるが、ファンタジーではないので、超自然の法則的な世界ではない。時空がゆがむ世界であったり、重力も時間もない世界であったり、因果性が存在しない世界であったりするわけではない。本書の中には、火星も登場するが、その火星も、あくまで地球と同じ自然の法則が貫く同じ世界である。物理的な場は、小説の外で読者が存在する世界と共通しているが、小説内で起きている出来事が少し異なっている。土着の宗教である仏教やアニミズムを背景にしている作品もある。アジア太平洋地域を舞台にしているということもあり、アジア風の名前の主人公も多いのも興味深い。SFというと、欧米が中心になるが、それを反転させるようでもある。

 

本書の基調的なモチーフは、アジア太平洋の豊かな自然の中に先端技術が埋め込まれるというモチーフであるように思われる。本書の構想時点では、人為の中に自然を埋め込むというモチーフが中心であったようだが、実際に本になると、それが反転していることは興味深い。この場合の人為とは、「都市」である。本書のタイトルには「都市」がうたわれており、本書の冒頭の編者たちの解説を読むと、おそらく、編集者たちが作家たちに作品を委嘱した時には、都市を舞台にする近未来小説集が念頭にあったようである。だが、実際に本になって本書をみると、たしかに、都市を扱った作品もあることはあるのだが、少数派である。固有名詞として登場する都市は、トーキョーと、シンガポール、上海くらいである。アジアのメガシティである、ジャカルタも、バンコクも、ホーチミンも、デリーも登場しない。

 

編者たちは、ソーラーパンクを、ディストピア都市を描くサイバーパンクを反転させる運動であるととらえている。サイバーパンクにおいては、電脳も都市は、人間が作ったものでありながら、人間を支配するものになってしまった。サイバーパンクを評して冠される「ディストピア」とは、「ユートピア」の反対語だが、それはそのような袋小路的状況をさす。それに対して、ソーラーパンクは、自然を導入し、持続可能なものとすることによって、ディストピアからの脱却を目指す。つまり、人為を自然によって制御するというような戦略である。アジア太平洋地域は、そのような戦略にはうってつけの地域であるように見える。

 

だが、本書においては、アジアの都市を舞台にしたソーラーパンクの創出はやや不発に終わっているように見える。その理由は、もしかしたら、アジア太平洋地域の現実では、都市とはサイバーパンクやソーラーパンクを生み出すような文化的背景を持つものではないからかもしれない。メガシティは地球上では、アジア、とりわけ、インドと中国に集中しているが、そのメガシティは、「パンク」というような文化は生む都市ではないともいえる。「パンク」は地下運動だが、都市の地下における発達を象徴するものとして地下鉄を換喩的にとらえてみると、パンクの発祥の地であるイギリスの都市ロンドンは地下鉄の歴史だけでも100年を超える。欧米の主要な都市の地下鉄の歴史は100年を超えるものが多い。一方、アジアの都市の地下鉄の歴史で100年を超えるのは日本の東京と大阪のそれくらいである。アジアには欧米の都市よりも古い都市はいくらでもある。だが、こと地下鉄の歴史、つまり近代のテクノロジーの発達だけを見ると、それはそれほど長いものではない。数百年の歴史を持つ都市北京に地下鉄ができたのは、1969年である。

 

アジアの都市が生み出している文化は、「パンク」を生み出すような文化とは異なった文化ではないか。本書が、ソーラーパンクをアジア太平洋で展開させようとしたことは興味深い試みではあるが、それは、欧米の枠組み、欧米由来の文化をアジア太平洋地域にそのまま適応しようとする試みであるともいえる。そもそも、サイバーパンクの世界観である、電脳が人間を一元的に支配するというディストピア自体が、キリスト教的一神教の全知全能の神が人間を上空から見ているという世界観を背景に持つという性格がある。そのような世界観がない地域であるアジア太平洋においては、サイバーパンクの描くディストピア的世界にどの程度リアリティを感じるかという感性が西欧とは異なっているのは当然だろう。

 

文化交流とは、様々な文化的要素の混交であり、ある文化のものを別の文化に持ち込むことは、重要な行為だ。本書がソーラーパンクという概念をアジア太平洋で展開しようとしたことは、アジア太平洋の文化を踏まえた上で、自然と人為の新たなオルタナティブ像を提示するための第一歩ともいえる。これは、嚆矢であり、今後、それが成熟していったとき、それが、はたしてソーラーパンクと呼ばれ続けるのが妥当かどうかは、まだわからない。だが、本書が、アジア太平洋地域の自然と文化の、欧米とは異なったあり方を踏まえた何かを生み出す試みの一つであることは確かだろう。

 

 

 

Christoph Rupprecht, Deborah Cleland, Norie Tamura, Rajat Chaudhuri, and Serena Ulibarri (eds.), Multispecies Cities: Solarpunk Urban Futures, World Weaver Press, 2021. (クリストフ・ルプレヒト、デボラ・クレランド、ノリエ・タムラ(田村典江)、ラジャット・チョウドリ、セレナ・ウルバリ(編) 『マルチ・スピーシーズ都市短編集――ソーラーパンクの未来図』ワールド・ウィーバー・プレス、2021年、英語洋書)