私見、ベトナムのこと、ベトナム語のこと ③

バナナの花

この紫色の筆先のようなものはバナナの苞(ほう)。花はこの苞につつまれている。バナナの苞を剥いてあく抜きをして刻み、食材として用いることができる。ベトナムではよく麺の付け合わせとして食される。日本ではなかなか食べることができないのでとても恋しくなる(2011年5月、筆者撮影)。

私がはじめてベトナム語を勉強したのは、青年海外協力隊員の派遣前訓練でのことでした。先生は、チャイン先生というベトナム人の男の先生でした。東京大学に留学されていて、1975年に終わったベトナム戦争の反戦運動にも参加されていた年代の方です。チャイン先生からは、ベトナム語のことだけでなく、ベトナム人のこと、暮らす上で注意した方がいいことなど本当に多くのことを教えてもらいました。

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その教えてもらったことの中に「ベトナムに行ったら、『一人で過ごすのが好き』や『一人でいたい』とは言わない方がいい。変わった人だと思われるから」ということがありました。日本人であれば、何気なく「一人で過ごしたい」というニュアンスのことを言うことがあります。チャイン先生には、そういう気持ちはなかなか理解してもらえないので、言わない方がいいと言われました。

nhớ nhà không?

確かにベトナムの暮らしの中で「(bạn có)nhớ nhà không?」(「家が恋しくない?」「ホームシックでない?」)と聞かれることが本当に多くありました。この問いに「Không, (tôi không nhớ nhà)」(「いいえ、恋しくありません」、「ホームシックではありません」)などと答えると「なんで?」「どうして?」と質問攻めに会いかねないので「(Tôi )nhớ nhà」(「家が恋しいわ」の意味)、「nhớ 」(「恋しいね」の意味)と答えていたことが多かったです。そうすると、質問してきた相手が「そうだろう、そうだろう、家が恋しいに決まているよね」という顔になるのが興味深かったです。大家族で過ごすことを当たり前のベトナムでは、遠く離れて外国で働いている私は不憫に思えていたのだと思います。

 

こどもの家で、ベトナム

現地が恋しくなる写真の1枚。学習支援活動を始めた頃、子どもの家に集まって忘年会をしたときのもの。チューター経験者たちは社会人になっても連絡をしてきてくれるのでうれしい。写真中央の赤い服を着た女の子は、クエンアンさん。このころは私たちの教室で学んでいた。現在は活動の事務局サポートとチューターをしてくれている。写真向かって右側から二人目の白い服の男の子はフック君。彼も現在チューターとして活動に参加してくれている。こういった人のつながりは私たちの財産だ(2012年2月、筆者撮影)。

 

親しい人を恋しがることを言葉にすることは、日本人よりも多い気がしました。女の子の学生から携帯へのメッセージが着て「em nhớ cô 」(「先生が恋しいです」の意味)というフレーズが添えてあることも多かったです(ほんの数時間前に学校で会っていたにも関わらず、です)。まぁ、日本人同士だと言わないかと思います。縁故社会のベトナムでは、会社や学校での人間関係も濃いもののように感じます。ですので、こういう表現も多く用いられるのかな、と思います。

em nhớ anh 」は「em yêu anh」かも?なのでご注意を

ただ、やはり注意してほしいのは、例えば男性が女性に「em nhớ anh 」(英語でいう「I miss you」, 「お慕いしています」の意味)と言われたりするとこれはもう「em yêu anh」(「愛しています」)の意味ですので、適当な返事はしないようにお願いします。それでは、また来週。

投稿者プロフィール

高木佳子(Takagi Yoshiko)
高木佳子(Takagi Yoshiko)風人土学舎 日本事務局担当
ベトナムのフエ市在住歴延べ6年。風人土学舎では、日本の事務局業務とフエ市での活動全般のコーディネーションを担当しています。