ミクロの線で書かれた水墨画のようなかそけき未来

 

Timeless、表紙

 

朝吹真理子『TIMELESS』

未来はどんなすがたをしているのだろうか。未来も過去も相対的だ。子どもにとっては数年後は遠い未来だが、その未来とは、大人にとっては遠い未来どころかすでに過去かもしれない。だが、その遠い未来に見えた過去も、その次の子どもが生まれた時には、過去になり、その子どもにとっては、その子どもにとっての新しい未来がまた生みだされることになる。

この小説は、そんな未来と過去の繰り返しのさまを微細に描き出した小説だ。繊細な、まるでミクロな線で描かれたようなかそけき未来。ただ、その未来は、細密に描かれるのではなく、水墨画のように余白の中に点景として描かれる。

描かれるのは、血がつながっていたり血がつながっていなかったりする、異なる世代の人々たちのありよう。血がつながっていたり血がつながっていなかったりする人々のつながりを指すのに適当な言葉は、今はない。それは、家族かもしれないが、家族ではなく、親子かもしれないが親子でもない。そんな関係性の中で、時間が通り過ぎるとはどういうことかが書かれる。

うみ、アオという二人の登場人物が基本的なユニットといえばいえるかもしれない。うみが母親で、アオが息子。うみには、芽衣子さんという母と父がいる。芽衣子さんと父は一緒に暮らしていない。うみは、アミと「結婚」してアオを生んだが、アミとうみは愛し合って結婚したわけではなかった。だが、かといって、意に染まぬ結婚だったというわけでもない。そうなったからそうなったという結婚であり、「交配」の結果、アオが生まれる。アオが生まれたころ、うみはアミと別れる。その頃に、うみは、父が死んだ別の女の子――こよりという名の――を引き取り一緒に暮らすようになる。うみは1986年生まれ。アオは2017年生まれ。

小説は二部構成になっていて、第1部は、2016年を、第2部は2035年を描く。2016年にうみは30歳で、アオはまだ生まれていない。2035年には、うみは49歳で、アオは18歳。この小説が書き始められたのは、2016年だが、その2016年から見ると、2035年は19年後ということになる。

2016年のパートで描かれるのは、2016年ごろの東京と2004年の東京。うみが「わたし」で語る一人称の語りである。2004年にはうみは18歳。30歳のうみが回想する都心の高校生の生態が描かれ、同時に、うみとアミの華やかな――東京の一流ホテルで行われたらしい――結婚式の前後のことが描かれる。一方、2035年のパートで描かれるのは、アオの「ぼく」の一人称の語り。東京から奈良・吉野にあるうみの取引先のお茶舗と骨董屋への短い旅の様子が描かれ、そこに、「ぼく」が生きてきた18年のことがないまぜになる。

「ぼく」の一人語りにところどころ顔を出す災厄の影。2020年の東京オリンピックの夏には、どうやら、東京の複数の箇所で連続テロが起きたようだ。東京から大阪に向かう夜行バスの中では、数年前起きた「あの大地震」で生じた大阪の大きな干潟が話題になっている。その車内では「わずか2分間でウィルスを除去する社内清浄装置」が稼働している。がんで死なない代わりに、「簡単な感染症で死ぬ」時代になったのだ。温暖化もどうやら進んでいるらしい。

だが、というか、だから、というか、描かれる奈良・吉野の姿は、「いま」と変わりがないようである。古い古民家で営まれるお茶舗と骨董屋。古い階段、畳、猫、桜、五輪塔、仏壇、うぐいす、玄米茶。

「初子(ういこ)さんが、熱湯緑茶といっしょに、うすべにいろの羊羹をだしてくる。これ、なんですか。知らない? 名古屋の銘菓、初かつを。いただきもの。名古屋においしいものはないけれどこれはおいしい。ほのかに甘いももいろの羊羹に刻まれた縞模様はたしかにさしみの厚切りのようにも見える。葛が柔らかいのに弾力があってくちびるにくっつく。桜の時期に初かつを。どんどん季節がはやまわしになる。いまは青森で茶葉がとれるから、むかしはいっても新潟県までだったのにね」(本書170ページ)

未来とは、変化の積み重ねの中で起きること。そして、その変化には大きな変化もあれば、小さな変化もある。大きなことは大きく変わるが、小さなことは変わらないことともいえる。いや、変わったと見えて、変わっていないものもあり、それを変わったとみる視点もあれば、変わらないという視点もある。

未来は未知だから不安だ。だが、未来は未知であったとしても、その道の中には、どこかに必ず変わらないものがあり、その変わらない既知のものがある限り、そこは現在と地続きだ。未来には、災厄は起きるだろう。だが、災厄が起きたとしても、変わらないものが必ずある。そして、なにより、人は、世代をつなぎながら生き続ける。世代をつなぐという中に変わらないものがひそんでいる。そうして、世代を超えて生き続ける人という存在は、変わるものと、その変わるものの中にある変わらないものの中で、変わりつつある変わらない生を生き続けるのに違いない。たしかに、未来はわからない。だが、人が時間の中で生き続けるということ、それは、そういうことだろう。そう考えると、なんだか少し気が楽になる。

朝吹真理子『TIMELESS』新潮社、2018年。

投稿者プロフィール

寺田 匡宏
寺田 匡宏
人文地球環境学、歴史学。
人文学の視点からひととひと、ひとといきもの、ひとともの、ひとと自然、ひとと世界の関係について研究。
個人HP:https://researchmap.jp/trdmshr