コロナの時代に灰谷健次郎を読む – システムの中の脆弱性(弱き者)へのまなざし –
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コロナ禍が教育についてその本質に関わる様々な問題を提起している。とりわけ初等中等教育について多くの問題が出てきている。
例を見ない(そして法的根拠や科学的根拠がないとも言われている)全国一斉休校、休校中のリモート授業と家庭学習、学校再開後の教育の在り方、入試制度や授業の遅れ……。
そのような中で改めて、格差の問題や、教育方法の問題が強く問われている。
リモート授業が進んだ学校もある。だがそのためにはITリテラシーが必要とされIT機器の所有が前提となる。それを可能にする家庭が存在する一方、それが困難な家庭がある。“密”を避けるために、分散登校が一時期実施され、少人数クラスでの授業が行われた。それを制度化し、これまでのクラス人数を削減することを求める声もある。
実際に少人数のクラスで教えた教員によると、それくらいの人数だと、一人一人の子どもたちの反応を確かめつつ授業を進めることが可能だと改めて実感したという。逆に言えば、従来の大規模学級はそのような仕組みではないということであろう。それは、ある程度できる子や中間くらいの子どもを対象として授業を進める進め方であり、わからない子は置いていかれざるをえない。
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授業がわからないというのが、生得的なのか社会的なのかについては議論がわかれるところだろうが、教育社会学は、子どもの学力と家庭の経済力には相関関係があることをはっきりと示している。さらに経済力は、どのような教育をどの程度受けることができるかをも決める。教育を受ける以前の段階で、教育への関わり方が決まってしまっている。とするならば、授業がわからないというのは、その子の責任ではない部分も大きいはずだ。教室の中でわからないことは、圧倒的に不利であり、それは尊厳を傷つける。わからないことが社会的なものであったとしたならば、それはその子の責任ではないことによってその子はそのような状況に置かれていることになる。
もちろん、わからないことは社会的な原因だけだとは言い切れない。発達段階や、認知のスペクトラムの偏差は人間には存在する。ただ、それを標準からの偏差であると定義づけるのは、社会の側である。社会以前の人間の生物としての目から見た時には、それは偏差ではないだろう。物差しは社会というものが用意している。現在の教育あるいは教育がよって来るところの社会が依拠している知識社会のシステムが前提とする体系からは離れているものが周縁化されてゆく。
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灰谷健次郎は、そのようなシステム全体を問おうとした作家である。灰谷は、1934年生まれ。神戸市兵庫区で生まれた。神戸は造船の町である。自伝である『わたしの出会った子どもたち』(『全集版 灰谷健次郎の本』第17巻、わたしの出会った子どもたち)の中で記すように、灰谷の一家は、父親も兄弟もM造船所の工員であるという職工一家であった。ただ、暮らし向きは豊かではなかったようである。貧しさから普通科の高校への進学をあきらめ、定時制高校を経て大学に進学、神戸市の教員となる。そして神戸の小学校で1950年代から1960年代後半にかけてつとめた。この時期は近代化と戦後の高度成長のひずみも大きかった時期である。
この地域でも、公害の問題(小山仁示『西淀川公害』東方出版、1988年)、いわゆる同和問題(神戸新聞社会部(編)『差別の壁の前で』解放出版、1984年)、在日韓国朝鮮人の問題(金時鐘『「在日」のはざまで』平凡社ライブラリー、2001年)など様々な社会問題が噴出していた。それは子どもたちの生活にも影を落とす。
灰谷が子どもたちと向き合ったのは、そんな中でのことだったが、同時に文芸活動も実践した。井上靖や足立巻一が推進した児童の作文運動の雑誌である『きりん』の編集の携わったりもした。『きりん』は、子どもたちに作文や詩を書くことを通じて生活を表現させ、自己をみつめ、表現の楽しさ、自己表現の楽しさを学んでもらう運動であった。1965年には、灰谷自身も最初の著作となる子どもの詩のアンソロジー『せんせいけらいになれ』を刊行している。そして、1974年には『兎の目』、1978年には『太陽の子』を刊行。ベストセラーになった。
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灰谷の姿勢は、徹底的に、システムに抑圧されている者の立場に立つことである。『兎の目』では、塵芥処理場に住む子どもが主人公に据えられ、『太陽の子』は沖縄戦のトラウマ的記憶を抱えて精神を病む父を持つ子どもを主人公とする。
「個人に踏みつけられるのなら、抵抗することも出来るけど、学校みたいな組織ぐるみで魂を傷つけるというのか、一人の子どもを容赦なく踏みつけるというのは、やられる方はつらいね。」(「澤地久枝さんと」『全集版 灰谷健次郎の本』第24巻、対談集2、115ページ)
といっても灰谷が描くのは抑圧されたものの苦しみだけではない。たしかに苦しみも描かれているのだが、楽しみも、喜びも書かれている。思わず吹き出してしまうドタバタも書かれている。だが、とりわけ心に染み入るのは、人々の関わり合いのあり方である。
「そういう踏みつけられ、踏みつけられて生きてきた人が、ものすごくやさしいのね」(「子どもたちと沖縄とやさしさと」『全集版 灰谷健次郎の本』第20巻、エッセイ集2、229ページ)
これは『太陽の子』により顕著だが、子どもと大人が支えあっていたわりあって生きている姿が描かれていると言った方がよいかもしれない。どちらも、登場人物は関西の(神戸の)方言で生き生きと話す。
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学校で勉強がわからない子や荒れている子がいる。それは、その子が悪いのではない。その子をそのようにしているシステムが原因である。
「選別教育の恐ろしさというのは、子どもを次々に区分していく。一番辛い目にあわされていくのは、一番下のほうで区分分けされる子だということですね。知恵遅れの子だとか、障害を持っている子どもにそれがかぶってきますね。そういうむごい世界を教育の世界に持ち込む教師の罪というものを考えてしまいます。」(「教えること学ぶこと」『全集版 灰谷健次郎の本』第16巻、教えること学ぶこと、17ページ)
それは、選別のシステムであり、そのシステムは、個々の子どもに寄り添うことをしない。その子がそうしている、あるいはそうなっているのには理由がある。だが、システムがシステムとして遂行されようとするとき、そのような個別の事情に寄り添われることはなく、それは押しつぶされざるを得ない。教師とはそのシステムの一部であるから、そのシステムの中にいる限りはそのようなふるまいを行わざるを得ないのだ。いや、それに疑問を持てばそうではない在り方もあるだろう。だが、システムにいるものは、その疑問を抱くことが難しい。それにどう寄り添うか。そのような姿勢をどう持つか。それを文学という形で示そうとしたのが灰谷健次郎であった。
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灰谷の描いた子どもたちの姿は、近代の日本の学校システムの中の子どもたちの姿である。それはシステムであるが、そのシステムに適応できない子どもはそのシステムとの齟齬を埋めようとしてさまざまな反応を示す。かつて非行や校内暴力が吹き荒れたが、それは、そのような反システム運動としてとらえられるだろう。非行や暴力は、現象形態としては悪の噴出のようにも見える。だが、それは、子どもたちの悲鳴でもあったはずである。
いま、非行も暴走族もなくなったが、ひきこもりやいじめが起こっている。ひきこもりの数は60万人を超えるとも言われる。いじめによる自殺、教員による行き過ぎた指導による自殺の報道も続いている。
「学校なんて大きらい
みんなで命を削るから
先生はもっときらい
弱った心をふみつけるから (尾山奈々)」
(「やさしさという階段」『全集版 灰谷健次郎の本』第21巻、エッセイ集3、62ページ)
これは、灰谷の元にその遺稿集が送られてきた自殺した当時中学3年生だった女性生徒の残した詩である。システムの中の子どもの悲鳴である。クラスメートは感受性の鋭い彼女の命を削り、教師はその弱った子ことを踏みつけた。
「死んでいった少女こそがもっとも人間らしい人間であったというつらい思いである。」
(「やさしさという階段」『全集版 灰谷健次郎の本』第21巻、エッセイ集3、32ページ)
人間らしいとは、システム的ではないということである。システムの中に入っているものはシステム的にふるまわざるを得なくなる。だが、それは、人間らしさを失うことでもあるのだ。人間らしい心を失うと、弱った心を踏みつけてしまうことを何とも思わなくなってしまう。
「いい人ほど勝手な人間になれないから、つらくて苦しいのや、人間が動物と違うところは、他人の痛みを、自分の痛みのように感じてしまうところなんや。ひょっとすれば、いい人というのは、自分のほかに、どれだけ、自分以外の人間が住んでいるかということで決まるのやないやろか、とふうちゃんは海を見ているゴロちゃんやキヨシ少年を見て思った。」
(『全集版 灰谷健次郎の本』第2巻、太陽の子、347ページ)
『太陽の子』の主人公ふうちゃんは、いい人と勝手な人間を区別している。勝手な人というのは、他人を考えない人のことであり、他人を踏みつけても平気な人である。それは自分の中に他人をどれだけ持つことができるのかで決まる。自分の中に持った他人の声をどれだけ聞き取れるかによってきまる。システムはそれを聞き取らない。悲鳴が聞こえているが、システムは変えられようとはしない。そんな中、人間が人間らしくあることは、どのようにしたら可能なのだろうか。灰谷の書は、それを問いかける。
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もちろん、未来には希望があることも確かだ。AIにより、より個別の学習ができる可能性も高まっている。AIは個別対応が可能であり、それは多様性を促進する方向に働くとも考えられるからである。日本国家の中枢は、AIを用いることで人が幸福を実現できる社会を「人間中心のAI社会原則」として打ち出そうとしている。だが、一方、そのAIに用いられる技術とは、インテリジェンスを計測し、平準化する技術に基づいたものでもあり、そのような知識社会は、認知における偏りを許容しない可能性もある。
学校というシステムの問題については早くから指摘されていたが(イヴァン・イリッチ(東洋、小澤周三訳)『脱学校の社会』東京創元社、1977年)、学級などそれを支えるより下位のシステムの在り方にも疑問が呈され(柳治男『〈学級〉の歴史学』講談社選書メチエ、2005年)、学級担任制を廃止した公立中学校もあるという。こんな方向に進んでいったら、息苦しさをおぼえる子供が減るのはたしかだろう。
とはいえ、それらは未来であり、未来の兆しにしか過ぎないものであり、眼の前には、やはり、子どもたちの悲鳴がある。それにどう対応したらよいのか。灰谷が描いたこととの根は今に続いており、それは近代の教育システムの問題である。灰谷は、そのシステムの問題に子どもたちの側から、周縁化される弱いものの立場の側から立ち向かおうとした。いま、そのような子どもたちの側に立っている大人はいるのだろうか。このシステムは、人を本当に幸せにするシステムなのだろうか。
コロナ禍が写し出しているのは、そのような状況である。危機においては、弱いものの声は聞き届けられにくい。そのようなとき、子どもたちの側、踏みつけられてきた側に一人で立ち続けた灰谷健次郎が書いたことが教えることはいまも多いと思う。
灰谷健次郎『全集版 灰谷健次郎の本』全24巻、理論社、1987~1989年。
[変更の履歴]
・2020年08月04日 改行がおかしかった点を何点か修正しました(文章に変更はありません)。