道端の小商い(1):アジアの旅の途上で
道端には、日常の中で紡がれる暮らしの風景が溢れている。
フィールド調査のかなりの時間を占めるのは移動。大学院生の頃、車での移動中に居眠りをすると、恩師に「退学届けを出すか起きているかどちらかにしなさい」と叱られた。「いまある風景や出会いは、明日にはないかも知れないのだから」と。何回も往復した道でも、すでに見慣れてしまった風景をしっかりと見続ける。年齢を重ねて周りから「先生」と呼ばれるようになってからは、移動中に居眠りを決め込む学生らについつい言ってしまう。「学ばないのだったら、学生やめる?」、「道端の風景は学校と同じだよ」。パワハラにならないようにとても優しくやんわりとだけど。
道端の小商いで、一番簡素なのは、敷物一枚を敷いてその上に自宅の庭先や畑の収穫物を並べたもの(写真1)。
もう少し頑張ると竹や木でできた台を使う(写真2)。差し掛け屋根やパラソルもなく、日陰のできる大きな木の下に台を置く。いつ来るかわからない客を待ち、売れ残りはおやつや食材になるのだろうか。毎日見ているとけっこう固定客がいる。
ベトナム中部の山村では、市場や商店がなかったりあっても遠いので、バイクの行商人がやってくる(写真3)。明け方に商品を仕入れ、朝早くから村々を回る。行き当たりばったりではなく、訪れる村と曜日が決まっているようだ。バイクが止まれば、そこが臨時のお店。どこからともなく村人がやって来る。扱う品物は行商人によりさまざま。新鮮な海の魚、肉、加工品(缶詰や調味料)、駄菓子、アイスキャンデー、何でもある。幾つかの村を回り、商品がさばけたら、そこで穫れたバナナや果物、野菜などを空になった荷台に積んでお昼頃には街に戻る。顔見知りの村人には掛け売りもしてくれるし、頼まれた商品を仕入れてくることもある。村人にとっては、大切なライフラインだ。
調査に出ない日は、体がなまらないように宿の周辺をぶらりと歩く。「何だこれ?」と思えるような小さな商いや商品に出くわすことがある。あるいは、ぼーっと休憩していると、頼みもしないのに向こうから誰かがやってくる。道端の小商いは変幻自在で臨機応変だ。
街の中では、リヤカーを使った行商が見られる(写真4)。役所の許可をもらっていないのか、頻繁に場所を変えることがある。櫛や鏡、ハサミ、洗濯ばさみなどの生活雑貨や乾電池、オモチャ、絵本、やはり何でもある。
パラソルとプラスチック製の机や椅子で設えたお店もある(写真5)。花やお菓子、何かに使う飾り物。毎朝、道端のあちこちに現れる麺やお粥、シジミごはん、コーヒー、バイン・ミー(ベトナム風サンドイッチ)の屋台もこのタイプだ。
繁盛してお金がたまったら、屋根付きの売店を構えることもある(写真6)。雑貨やお菓子、清涼飲料水、地元で穫れた農産物、甘ーいミルクコーヒーやチャイ。雨が降っても大丈夫だし、車を停めて買い物する人もいる。
印象に残った道端の小商いが幾つもある。招待講演で訪れた北インドの街の焼き芋の屋台は鮮烈だった。遠く離れたインド東北部の民族の顔立ちをした若者が売る焼き芋には、もれなくライムが付いてきた(写真7)。焼き芋とライムの意外な組み合わせ。招待してくれた現地の大学の先生らにその話をしたら、「日本から来た先生とあろう者が道端で売っているそんな下々の食べ物を食べるものではない」と真顔で言われた。とても美味しいのにね。結局、その助言(苦言)はスルーして、街を離れるまでおやつや夜食として焼き芋を楽しんだ。
ラオス中部のセポン市。泊まっていた宿の前の道端で、竹で編んだカゴに入れた何かが毎朝売られていた(写真8)。
よく見ると子豚(写真9)。繁殖に使われないオス豚は、子豚のうちから次々と売りに出される。近郊の村からやってくるおばちゃんたちの現金収入源だ。誰かに買われた子豚は、丸焼きなどの食材にされたり、運がいいものはしばらく肥育され、でも、適度に太った頃合いに市場で売られる(結局食べられる)。
いろいろな人が行き交う。お腹が空く。何か売っている。人懐っこい笑顔でこっちにおいでよと手を振られる。道端には様々な物語や出会いがあり、通りすがりの私たちの感性や学びを磨いてくれる。
投稿者プロフィール
- 風人土学舎代表。摂南大学 農学部 食農ビジネス学科 教授(環境農学研究室)、ベトナム・フエ大学名誉教授。専門は、環境農学、土壌学、地域開発論。アフリカやアジアの在来知に学び、人びとの暮らしと資源・生態環境の保全が両立するような技術や生業を創り出す研究に取り組んでいます。
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