ベトナムで知った戦争のこと⑤

アカシア 造成地が広がる

私が関わってきたJICA草の根技術協力事業のトライアルサイトの1つである少数民族の村は、ベトナム中部のトゥアティエン・フエ省の丘陵地にあります。プロジェクト終了後、修士論文のためにこの村のお年寄りたちに聞き取り調査を行いました。その聞き取り調査では、彼らが実際に経験してきた村の歴史や暮らしの様子が聞きたくて何人ものおじいちゃん、おばあちゃんに協力をしてもらいました。もちろん、村の人民員会(日本で言うと村役場)の人に聞けばツラツラと村の歴史を話してくれます。ただ、それは「自由と独立を勝ち取った立派な話」として語られる歴史になってしまうのが常なのです。そうではない小さな話や暮らしぶりが知りたくて、おじいちゃん、おばあちゃんのいる家を訪ね歩きました。

 

特に戦争の話を聞きたいわけではなかったのですが、ベトナム戦争は1975年に終わった戦争なのでまだまだ従軍経験のある人たち、戦争や戦闘の様子を記憶している人たちがいらっしゃいます。そのため、どうしても戦争当時の話というのは惹きつけられるものがありました。

 

ヤーさんとホロホロ鳥の卵

JICA草の根技術協力事業では、ヤーさんはホロホロ鳥の飼養に成功。手にしているのはホロホロ鳥の卵(2012年4月撮影)。

 

プロジェクト活動で大変にお世話になったヤーさん。このホームページの記事では、「モノの運び方もいろいろ 」(2020年5月25日)という記事に登場しています。ヤーさんも長く軍隊にいた方でした。ヤーさんは十代の頃に軍隊に入っています。軍に入ったきっかけを聞くと、

 

「餓えなくて済むから」

 

という答えが返ってきました。ヤーさんが十代の頃、村では飢え死にする人や栄養失調により体を壊して病気になる人がたくさんいたそうです。ヤーさんのお父さんも餓えで命を落としました。どうして餓えるようになったのかを聞くと、

 

「ある時から森にはベトナム人の兵士が見張りで潜むようになった。森で兵士に見つかるとひどく怒られた。だから食べ物を集められなくなった。焼き畑でお米を作ることも段々に出来なくなった」

 

ヤーさんの話には「南ベトナム・北ベトナム」という表現が出てきませんでした。どちら側の兵士もきっと同じような行動を村人たちに取っていたのではないかと推察します。親を亡くしたヤーさんに声をかけたのは北ベトナム側の兵士たちで、ヤーさんは十代で軍に入ったのでした。北ベトナム側は、のちに戦争の勝者となりました。この勝者たちが現在も続くベトナム共産党政権に続いています。

 

もっと回数を重ねて話を聞けば、違う従軍した理由が返ってきたかもしれません。ただ、人が戦う決心をするにはやはり「生存の危機」を感じた時なのだと改めて思うようになりました。

☆戦争に関係するお話は、あといくつか続きます。☆

投稿者プロフィール

高木佳子(Takagi Yoshiko)
高木佳子(Takagi Yoshiko)風人土学舎 日本事務局担当
ベトナムのフエ市在住歴延べ6年。風人土学舎では、日本の事務局業務とフエ市での活動全般のコーディネーションを担当しています。