ベトナムで知った戦争のこと④

ベトナムで知った戦争のこと①」に「トゥアティエン・フエ省(以下、フエ省)の漁村からはたくさんの人がボートピープルとなってベトナムを出ていった」と書きました。フエ省にあるアンバン村(越語:làng An Bằng)からは、多くの人がボートピープルとなって国を離れました。この村の話は「ベトナムで知った戦争のこと①」に出てきたベトナム人のT先生から教えてもらいました。T先生の話がとても興味深かったので、ベトナム人の友人にバイクで行こうと頼むと「お化けの村だよ?本当に行きたいの?」と言われました。なぜ、ボートピープルをたくさん出した村が「お化けの村」と言われるか?は、下のようなものがたくさん建てられている場所だからなのでした。

アンバン村1、フエ・ベトナム

アンバン村2、フエ・ベトナ

 

これはすべてお墓です。巨墓群とでも言えばいいのでしょうか?ここからは、T先生と現地の友人たちから聞いた話です。

 

アンバン村8・フエ

 

戦後アメリカに渡れたアンバン出身の人たちは生きていくために仕事をする必要がありました。アンバン村は漁村だったので、魚介類を獲る技を持っていた人たちはカリフォルニアの海で魚介類を獲り生計を立てました。魚介類はたくさん獲れ売ることも出来きました。ただ問題であったのは、漁業禁止区域でも操業したことや制限漁獲量を無視して操業したことでした。漁業だけでは生活が成り立たなくなるかもしれない状況の中で次に目立って彼らが始めた仕事がネイルの仕事。手先が器用なベトナム人は美容室やネイルサロンの優秀な働き手となっていきました。こうして少しずつ生活が安定してくるとベトナムに残してきた親族たちへの送金を始めました。送金の中には親族の生活費と共に「これでお墓を守って欲しい、建てて欲しい」という先祖供養のためのお金が含まれていました。

はじめのころのお墓はきっと質素なものであったと思います。アメリカに渡った側の人たちは勤勉に働き子どもを優秀な学校に入れて、二世の時代になるとホワイトカラーの仕事に就く人も増えました。ベトナムへの送金額も増え、立派なお墓が建つようになりました。「Aさんの家のお墓が立派らしい、うちはそれ以上に」という気持ちが、お墓をより華美で巨大なものにしていったといいます。

アメリカに暮らす二世たち(場合によってはそろそろ三世もいることでしょう)の中には豪奢なお墓にそれほどの価値を感じない合理的な人たちもいて、そういった人たちはアンバン村の学校や公民館などに寄付をする人もいると聞いています。

 

アンバン村8・フエ

 

 

ここに書いた話が本当なのか、どんな気持ちで豪奢なお墓を建てたのか、どんな思いでお墓を守っているのか、コロナ禍が収まったら調査に行きたいトピックの1つです。今回の写真に写させて頂いたお墓に眠る方々の魂が天国で光に包まれておりますことを祈っています。

☆戦争に関係するお話は、あといくつか続きます。今回使用した写真は著者が撮影したものです。☆

投稿者プロフィール

高木佳子(Takagi Yoshiko)
高木佳子(Takagi Yoshiko)風人土学舎 日本事務局担当
ベトナムのフエ市在住歴延べ6年。風人土学舎では、日本の事務局業務とフエ市での活動全般のコーディネーションを担当しています。