島といのちと布

本のご紹介

安本千夏『島の手仕事――八重山染色紀行』

その土地々々に、その土地々々の本があるのはうれしい。

 

沖縄は、その喜びを大きく感じることができる場所だ。独自の本があり、独自の出版社がある。沖縄には、「県産本」という言葉がある。沖縄で出版された本のことを言う。そんな言葉があるくらいだから、沖縄産の本は種類も数も多く、他の地域とは一線を画している。

 

那覇についた時、時間があればジュンク堂那覇店に行って2階の沖縄本コーナーを見るのは楽しみの一つだ。本棚がずらっと並んでいて、おそらく、その時点で手に入るあらゆる沖縄の「県産本」が、自費出版や同人誌も含めてそろっている。時間が無い時は、モノレールの県庁前で降りて、県庁前のビル「パレット久茂地」に入っているデパート「リウボウ」の7階にある「リブロ」に行く。ここにも、沖縄本コーナーがあって、数は少ないがしっかりとした目利きによって本が選ばれている。

 

もう少し時間があるときには、国際通りの牧志公設市場前にある「ウララ」や、那覇中学の前にある「ちはや書房」といった古本屋に行く。どちらも今では新刊では手に入らない沖縄本がある。ウララは民俗学関係がしっかりしている感じで、ちはやの方は文学関係がしっかりしている感じがする。さらにもっと時間が――1週間とか数日とか――ある時は、普天間基地の近くにある「BOOKSじのん」に行く。じのんとはこの本屋のある「宜野湾(ぎのわん)」という土地を指す古語らしい。ここは県史市史も含めてあらゆる沖縄に関する本がそろった沖縄古書のラビリンスである。

 

この本もそんな風にして沖縄で見つけた本だ。といっても、たしかに沖縄なのだが、これは沖縄本というよりも、八重山本と言った方がいいかもしれない。
沖縄の本と八重山の本は、また違う。沖縄本とは別に八重山本には八重山本のテイストがある。

八重山とは先島諸島とも言われ、石垣島や竹富島、西表島などからなる。もちろん、それらの八重山諸島も沖縄県には属しているのだが、沖縄本島とはずいぶん離れている。約400キロだから、京都と東京くらいの距離だ。京都と東京を一つにくくるのはちょっと無理があるのと同じように、八重山と沖縄本島を一つにくくるのも、実は無理があるともいえる。

八重山本と沖縄本島で出版される沖縄本の違いとは、八重山本には、沖縄本島のような琉球色と言えばいいのか、琉球を掲げたアイデンティティの感じがあまりないことだ。琉球の感じとは、琉球王朝の色や形や様々な文化的要素の強調と言えばよいだろうか。八重山の本にはあまりそれが感じられない。
どうしてそうなのか。王朝が存在したのが沖縄本島で、八重山はそれに支配される土地であった――あるいは、もう少し踏み込んでいうと搾取される側の土地――であったという歴史がそこには反映している。琉球王朝は、八重山諸島や宮古島にだけ沖縄本島にはない過酷な人頭税を課した。
琉球色なくして、どのように島のアイデンティティを確立することができるか、そんな課題を背負っているのが八重山本であるかもしれない。

 

この本は、八重山を染色という面から見つめた本である。
著者は、東京から西表島に移住し、染織を生涯の技とすることを選んだ女性。彼女が、八重山諸島の島々の人々を訪ね、その技と思いを聞き取るというのがこの本だ。16人の人が取り上げられているが、どの人についても、しっかりと聞き書きと背景説明がなされ、何葉もの素晴らしい写真がテキストに添えられている。本のつくりも、しっかりとした本文用紙にしっかりとした表紙が付けられている。出版した南山舎は石垣島にある出版社。丁寧に書かれた本であり、丁寧に作られた本だ。

 

取り上げられている人は本当に様々だ。女の人が多いけれども、男の人も取り上げられている。昔からの伝統を体で覚えている高齢の人もいれば、島の外からやってきて、技術を学び、それを次に伝えようとしている人もいる。そのような人たちの言葉から、布を織るとはどういうことか、それが島とどうかかわっているのかがだんだんと見えてくる。

 

「手織りの着物。それなくして神行事はなりたたない。(中略)
旧盆や結願祭の場で、そんな誇りあふれる言葉を幾度となく耳にした。言われるまでもなく、焦げるほどに染めあげられた紺地の着物には圧倒的な存在感がある。島人の美意識がくっきりと貫かれている。目に留まるのはクンズンだけではない。軽やかに舞う青年たちが身に着けたほのかに黄味を帯びた芭蕉の着物。足元を駆け抜けていく子どもたちの白地に経縞の可愛らしい衣装。夫や子どもら、そして孫のためにと丹精込めて織り、しつらえた着物、そのどれもが島の女たちの手によるものなのだ。」(本書77ページ)

 

クンズンとは、島の藍で染めた濃紺の糸で織られたきものであり、八重山諸島の一つ小浜島の伝統的な祭りに参列する男たちの正式な衣装である。祭りは島の人々の手によって行われる。その祭りに参列する人々の身につけるものも島の人々の手によって作られる。祭りとは共同体の根幹に位置し、その共同体を形作る規矩のようなものであろう。それはその共同体の人々の手によって維持されているのだ。

 

布には、意味がこもる。布は、布でありながら、そこには、織り手の費やした時間がこもり、そして、同時に、様々な意匠や素材の選定にはその文化が積み上げてきた美に関する共同の意識が織り込まれる。

 

「「私が徳吉マサさんから織物の講習を受けたのは、昭和54年でした。その時、最初に習ったのは真っ白な着尺地でしたよ。経緯木綿の平織り。一反あまりを織りました」。
島へ嫁いで間もない彼女は、やがて白い布の意味を知った。それは集落の葬式に初めて参列した時のことであった。現世からあの世への旅立ちの日、墓所へと向かう長い行列を両側から見守るように白地の布をお供にしていたという。布地の意味を問うと、染織の先輩婦人から「それは先祖を見守る子孫を表すのだよ」と教えられた。」(本書242ページ)

 

これは与那国島で与那国織を織り続ける女性を描いた章の一節である。布とは、生命や生命を超えた世界とのつながりをも示すものである。自然と共同体と個人と個人を超えたものが布を通じてつながっている。人が織物に引かれるのはそのようなありように引かれるということでもあろう。

 

著者の安本千夏自身もそんな人であるのかもしれない。本書の末尾は、安本自身に新しいいのちが宿り、それがこの世に生まれいでる場面で閉じられる。島に来て、織りに出会い、その織をする人々に出会った彼女は、そこで聞いた言葉を「人生が凝縮され雫となって滴り落ちた言葉」と書く。

 

手仕事とはなんだろう。手が為す仕事。手が為すこととは人が為すことであり、人が為すこととは、その人のいのちの軌跡である。著者はそれを島で学んだ。島で暮らすことは楽なことではない。だがしかし、そこには、人がいて、いのちがある。そしてそれをつなぐ布がある。八重山の島々とは、それを凝縮して教えてくれる場所なのかもしれない。

 

安本千夏『島の手仕事――八重山染色紀行』南山舎、2015年。