活動で「お金を渡すことについて」②
前回に続いて、活動で「お金を渡す」ことをしたくない理由について、です。これも10年ほど前の苦い経験の1つです。風人土学舎の活動としてではなく、個人的に知っていた貧困地区に暮らす女の子との間にあったことです。その子は、1つ前の記事「活動で「お金を渡すこと」について」(2021年3月14日)に出てきたアクセサリー活動に参加していた子でした。ここでは、Aちゃんとしておきます。知り会った頃、彼女はまだ中学生で、中学中退で仕事をしていない兄と高校生の姉がいました。母親はフエ市内にある魚市場に小さな売り場を持っていて、父親はビール好きのシクロ(自転車タクシー)の運転手でした。Aちゃんの中学最終学年の寒い冬の日に、父親は肝臓の病気で亡くなりました。質素なお葬式に参列させて頂いた時に、母親が魚市場に持っている売り場を担保にしてお金を借りていることを知りました。市場には高利貸しがいて、売り場を担保にお金を貸してくれるのです。亡くなった父親の治療費のために売り場を差し押さえられそうな状態になっていると聞かされました。私は、生活のお金を貸すことは出来ないけれど、子どもたちの学費のことなら連絡をし欲しい、と言うのが精一杯でした。
Aちゃんの家は父親が亡くなってから貧困世帯の認定を受けることができました。そのため、Aちゃんは高校の学費を全額免除してもらえることとなりました。しかし、制服のほかにアオザイ(今もかもしれませんが、当時のフエ市にある高校では週に1回、白いアオザイを着る日が決まっていました)を仕立てたり、教科書の購入をしたりする必要がありました。「お祝い代わりに」とアオザイを一緒に仕立てに行き、本屋で教科書を購入してやりました。
そして高校の授業が始まり数カ月した頃、母親は市場の売り場を高利貸しに差し押さえられて、1,2か月の間、ホーチミン市に出稼ぎに行くことになりました。Aちゃんは「クラスメイトのほとんどが塾に行っている。塾に行っていないから勉強についていけない。塾に行くお金を出してもらえないか?」と相談されました。英語を教えている塾だったのですが、Aちゃんに実際に連れて行ってもらい授業の様子も見学させてもらって、塾の先生に1学期分の塾代を支払いました。金額は覚えていないのですが、そんなに高くなかったことだけは確かです。Aちゃんには、塾代を出す代わりに学校の成績を見せることを条件にしました。そして、次の学期の前になってAちゃんから「塾を続けたいけれどお金がない、次の学期もお金を出して欲しい」と携帯にメッセージが着ました。私が塾に行って先生に直接払うから、いつ塾で授業があるのか教えて欲しいと告げると、のらりくらり・・・となり、お金は自分で支払うからと言うAちゃんに何かおかしなものを感じました。そこで、ベトナム人の友人に頼んで一度Aちゃんに見学に連れて行ってもらった塾に一緒に行ってもらいました。塾の先生に告げられたのは、
「あなたのことは日本人だからよく覚えている。Aさんは『学校の近くの塾に行くことになったからお金を返して欲しい』と、すぐに言って来た。日本人にお金を返さなくていいのか、と尋ねたら『彼女は日本に帰った。返してもらったお金で別の塾に行く』と言っていた。だから、1回もこの塾で勉強をしていない」
と、言うことでした。塾の前で、友人から出稼ぎからフエ市に戻ったAちゃんの母親の携帯に電話をしてもらいました。母親はAちゃんは塾には行っていないし、私が塾代を準備した話も聞いていないと答えました。そんなやり取りのあった夜に、母親はAちゃんを問い詰め、私に電話をしてきました。
「『ヨシコにも支払ってもらったお金は生活費に使った。高校をやめてホーチミン市に行って働いて返すと言っているから許して欲しい』と言っているから許して欲しい」
・・・、どう返事をしたらいいのかわからず、その夜はまた返事をするとだけ告げて電話を切りました。何人かのベトナムの友人に相談して、結局、
「お金は返してくれなくていい。その代わり、もう一切連絡をして来ないで欲しい。」
と、友人から母親あてに電話をしてもらいました。本当は、きちんと返してもらうべきだったように思う時が今でもあります。でも、返済してもらっても「騙された」という思いを抱えて、この家族と付き合っていく自信が当時の私にはありませんでした。
そして、自分の中に
「お金さえ出して『あげれば』なんとかなるんではないか?」
という浅はかで、身の程知らずに考えがあったのではないかという反省がありました。子どもは、そういう大人の浅はかさを見抜いて、家族のために使えるお金を手にしようと考えてたのだと思います。母親が借金返済の中で「自分のなんとかしたい」と思ったのだと思っています。
こんなこともあって、活動の計画とお金を扱いには慎重にあり、「いかに信頼できる人たちを活動をしていくか」を考えるようになりました。「~してあげる」ではなく、常に「一緒にやっていける方法を考える」ことを考えるようになりました。そして、「子どもが子どもらしくいられるように」ということも考えるようになりました。
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投稿者プロフィール
- ベトナムのフエ市在住歴延べ6年。風人土学舎では、日本の事務局業務とフエ市での活動全般のコーディネーションを担当しています。
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