忘れられない贈り物の話

私の机の上には、リボンのかかったガラスの器が置いてあります。中には、小さな短冊状の紙で織られたお星様がたくさん入っています。このたくさんのお星様の詰まった器を私にくれたのは、ベトナムのフエ市で暮らしていた水上生活者の女の子でした。ちょっと、この器にまつわる思い出を書きたいと思います。

 

Sちゃんからの贈り物、フエ市

 

 

2007年の春から2009年の夏まで、私は青年海外協力隊員(以下、協力隊員)としてベトナム中部にあるフエ市で活動をしていました。私はフエ観光職業短期大学で先生として活動していたのですが、同じ町に水上生活者の女の子たちにビーズ細工を教えている先輩隊員がいました。私は自分の活動の合間に先輩隊員のアクセサリー教室を覗きに行って、フエ市の中でも貧しい人たちである水上生活者の暮らしを知りました。そこで彼らのことを知ったことがきっかけとなって今の風人土学舎の活動である教育環境改善プロジェクトは始まりました(プロジェクトの変遷はこちらに書いています)。

たくさんのお星様、ベトナム

中に入っているお星様たちはこんな感じです。

私が協力隊員としての任期を終えてフエ市を離れる直前に当時水上生活はであったSちゃんが、手紙とこのガラスの器を私にくれました。彼女は「Mさん(先輩隊員のこと)とヨシコさんにはお世話になりました。私たちはあなたたちのことを忘れないし、どうか私たちのことを忘れないでください」と私の手を握って言いました。手紙は手書きでベトナム人特有の癖のある字で書かれていたので、私は読むことが出来ませんでした。そのため、友人に読んでもらったところ「誰からもらった手紙なのか」と聞かれました。私は友人に事情を話すと、

 

「たぶんだけれども、この手紙をくれた人は字が書けないと思う」

 

と、言いました。その手紙に書かれている単語の多くはスペルに誤りがあり、注意深く何度も読み直してくれた友人はいくつかのベトナム語のアルファベットが抜け落ちていることに気づいてくれました。友人はなんとかんばって手紙に読解してくれて、そこには今ままでいくつかの思い出とお礼の言葉が綴られていることがわかりました。

 

手紙を書いたSちゃんは三姉妹の長女で、年齢は当時10代後半でした。小学校を低学年で退学してからは母親の仕事を手伝い、私にこの手紙をくれた頃には電線屋さんで店番のような仕事をしていました。二人の姉妹はそれぞれ中学校と小学校に通っていました。姉として妹たちに手紙を書くように指示をしてもよかったのに、彼女は自分で手紙を書きなんとか私に伝えたいことがあったのだと思います。手紙の方は失くしてしまったのですが、このガラスの器は常に目に入る場所に置いています。Sちゃんが言った、

 

「忘れないでね」

 

という言葉は、「あなたたちがフエで知った『現状』を忘れないでね」という意味になって私の心に響いています。読み書きが不自由というハンディを負わずに社会に出られること、仕事が選べるようになること、、、本当に少しのことしか出来ないのですがこれからもフエ市に暮らす仲間たちと活動を続けて行きたいと考えています。

ちなみに、Sちゃん一家はフエ市が実施した再定住政策により土地をもらってお家を建てることが出来ました。お父さんは今でも、フエ市内にある3つ星ホテルの前で客待ちをするバイクタクシー(時には自転車タクシー)の運転手をしています。Sちゃんは結婚してホーチミン市で暮らしているそうです。

投稿者プロフィール

高木佳子(Takagi Yoshiko)
高木佳子(Takagi Yoshiko)風人土学舎 日本事務局担当
ベトナムのフエ市在住歴延べ6年。風人土学舎では、日本の事務局業務とフエ市での活動全般のコーディネーションを担当しています。