ベトナムで知った戦争のこと⑥

私は、修士論文の調査でベトナム中部、トゥアティエン・フエ省の丘陵地にある村に通っていました。この調査なのですが、観察対象は「人の暮らし」なので、徹底的に村の人の家にお邪魔していました。「私はいないものと思ってください」と言って、ずっと一軒のお家に居座ったり、農林作業に出かけるのに影のように付いて行ったり。自分だったらこんな外国人の何になるのかわからないものに協力するかな?と思うようなことに、協力してもらっていました。本当にありがたいことです。

観察以外にも質問票調査を行ったのですが、これまた「こんなことにまで答えて頂いてありがとうございます」という内容でした。世帯収入、世帯の借入金の額とかも答えてもらっていました。割とすんなり答えて頂けるのをいいことに・・。自分だったら答えないと思うことをよく聞いたもんだと、フィールドノートや記載済みの質問票の束を見るたびに思います。本当に村の人たちには、感謝しかありません。

暮らしのこと教えてくれてありがとう、の気持ちです。

そんな調査をしている時のことです。こんな感じの写真を飾っているお家が結構ありました。

 

軍隊にいた人の写真、ベトナム

 

上の写真は、1975年に終わったベトナム戦争で勝った側の北べトナム軍に従軍していたおじいちゃんの写真です。もちろん、従軍していたのはお若い時です。この写真は、最近のおじいちゃんの写真に加工を加えたものでした。加工された写真の中でおじいちゃんは、軍隊にいた時の階級を反映した勲章をつけた制服を着ていますが実際に勲章を手にしたことはないと言っていました。

こういった加工写真は退役した軍人たちの組織から配布されていて、近年に作られたものだと下のようなかなり手がこんだものもありました。

 

従軍した人の写真、ベトナム

 

上の写真の左側に写っている女性が従軍していたおばあちゃん。1枚目の写真のおじいちゃんよりも勲章の数が少なく、おじいちゃんよりは軍での階級が低かったこと分かります。写真の中央あたりに書かれている数字とベトナム語から、おばあちゃんが1945年生まれで、1963年1月に軍隊に入ったこともわかります。18歳の時に、おばあちゃんは軍隊に入った計算になります。写真の右上に写っている人物は、ボ・グエン・ザップ(越語表記:Võ Nguyên Giáp)大将。ベトナム救国の英雄とされる人物で、2013年に102歳でお亡くなりになられた時は国葬が営まれたような方です。

写真中央に書かれている青い字、「một thời để nhớ」は直訳すると「覚えておくべき時」。国の英雄と戦ったことをどうか覚えていてください、という意味が込められているのでしょうか。

軍隊にいた人にはこういった写真を渡しているだけでなく、農村の暮らしでは十分な金額の兵役恩給も支給されていました。平和な時代を迎えることが出来てよかったのだと思います。1枚目の写真のおじいちゃんは下の写真のような人です。また直接お会いしたいものです。

 

従軍経験のあるおじいさん、ベトナム

 

☆戦争に関係するお話は、あといくつか続きます。☆

投稿者プロフィール

高木佳子(Takagi Yoshiko)
高木佳子(Takagi Yoshiko)風人土学舎 日本事務局担当
ベトナムのフエ市在住歴延べ6年。風人土学舎では、日本の事務局業務とフエ市での活動全般のコーディネーションを担当しています。