ベトナムで知った戦争のこと②
ベトナム戦争当時の報道写真を見ると女の人でも銃を持って従軍していた様子がわかります。たくさんの人が生きていくために軍隊に入って戦ったのです。
ベトナムで暮らしていた時、当時所属していた京都大学がフエ市に家を借りていました。3階建てで4ベッドルームある家でした。インターン研修や研究のために滞在する大学院生たちが宿泊できるようになっていて、私も学生のいない時は少しだけその家で暮らしていました。借りていた家は大家さんの家とひっついていて、日本式に言えば2世帯住宅の片側をお借りしていた形でした。私は自分が暮らしていない時も家賃を届けにいく係で、毎月大家さんにお家賃を届けてお茶を飲んでおしゃべりしていました。
ある時、仕事で省内のアルーイ県という山岳地域に仕事に出かけた際に市場に立ち寄れたので、大家さんにお土産を買って家賃と共にお渡ししたことがありました。すると、「私も長い間、アルーイ県の山の中にいたことがあるのよ」とおばあちゃま大家さんは言いました。なんのためにアルーイ県にいらしたのか伺うと、
「戦争の時に軍隊に入っていたからね。銃を撃ったし、撃たれもしたわ」
という答えが返ってきました。そしておばあちゃま大家さんは、ヒョイっと私の手を取り自分のこめかみより少し上のあたりを触らせました。
「ほら、まだ銃の弾(たま)が残っているの。わかるでしょ?」
と大家さんは言い、銃撃戦で負傷したけれど十分な手術を受けられる状況でなかったため止血だけを行ってもらい、幸いなことに頭蓋骨の外側に留まっていた銃弾は命に触りはないとのことで取り出さなかったとのことでした。
明らかに体の一部ではない出っ張りを触らせてもらいながら、もう少しずれていたなら私はおばあちゃま大家さんと話をすることはなかったのかもしれない、女性が顔に銃弾を受ける衝撃や苦痛をどうやって乗り越えたのだろうと、静かに思いました。
どうすれば丁寧に当時のお話を伺えるのか当時の私には答えが出せず、その日以来、大家さんと戦争の話をすることはありませんでした。
☆戦争に関係するお話は、あといくつか続きます。今回使用した写真は著者が撮影したものです。☆
投稿者プロフィール
- ベトナムのフエ市在住歴延べ6年。風人土学舎では、日本の事務局業務とフエ市での活動全般のコーディネーションを担当しています。
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