システム・複雑性・持続性と芸能・芸術 ――沖縄県立芸術大学『地域芸能と歩む 2020-2021』を読む

寺田さん、書籍紹介ー9/27

あざやかな民族衣装の女性。頭には赤や金色に彩られた冠をつけ、黄色地に赤や緑や青で描かれた植物や雲や鳥が染め抜かれた打掛を身にまとっている。紫の半襟と同色の元結。女性が立つのは、集落の路地のようなところ。コンクリートのブロック塀が見え、その奥には、分厚い緑の葉の常緑樹が両側に色濃く茂っているのが見える。雨上がりらしい。水たまりに樹影が写り、きらきら光る路面もあたりの緑を反射している――

 

これは、沖縄から届いた瀟洒な冊子の表紙である。写真は、沖縄名護市の屋部集落で撮影された写真で、被写体となったのはその伝統行事の「屋部踊り」の踊り手。衣装はそこで踊られる琉球舞踊のための衣装、冠は集落に伝わる伝統的なデザインだ。

 

この冊子は、向井大策と呉屋淳子を中心とする沖縄県立芸術大学のグループによって取り組まれているプロジェクトの冊子である。タイトルに波のようなロゴで書かれた「地域芸能と歩む」というタイトルがあり、その横に2020-2021と数字が書かれているが、それがプロジェクトのテーマ。この冊子はそのプロジェクトの1年間の様子をまとめた冊子である。凝った作りの冊子で、中綴じの本文ページは、太いゴムひもでくるむように綴じられ、全体はA4判なのだが、表紙と裏表紙の紙だけは正方形の変型判、さらに、本文の中にもB6判のページが別冊のようにして綴りこまれてれている。冒頭の8ページと末尾の8ページはグラビア写真のページでコート紙を使用。それ以外の本文はざらりとした手触りの紙。隅々まで行き届いたデザインが、読む喜びをかき立ててくれる。

 

冊子の中で語られるのは、沖縄の各地で伝えられている伝統芸能の今と未来。沖縄は、豊かな地域芸能があるため、芸能の島と呼ばれるが、それは、多くの島嶼からなる沖縄のことであると同時に、シマとは集落のことでもあるので、集落の持つ芸能の豊かさをあらわすものでもある。そのような芸能が持続可能であるためにはどうすればよいのか、保存ではなく生きたものとして人々がかかわるためにはどうすればよいのかを考えようとするのがこのプロジェクトだ。

 

プロジェクトのメンバーは、沖縄にある様々な島のシマを尋ねるとともに、島の外の専門家との対話を通じてその可能性を探ろうとする。沖縄の伝統芸能とそれ以外の地域の伝統芸能をつなぐ試みを行い、伝統芸能を学ぶ若い世代(高校のクラブ活動である郷土芸能部)の生徒たちに思いを語ってもらう。アーカイブ音源としてだけ残され、地域では長く忘却されていた歌を復活させ、その歌に歌われた土地を訪ね歩く。ポピュラーカルチャーの最先端で活躍するアーティストにインタビューをする。そこにあるのは、芸能というものがもつ価値への信頼と、その価値が地域の深いところと結びついているはずだという確信、そして、変容を恐れるのではなく、変容を受け入れ、それを持続可能性へのテコとしてゆこうとする柔軟性だ。

 

芸術とは複雑性の増大である。人間は自然のシステムの中にある複雑性を、資源として利用することで一元化し、低減させる。人間の活動は、一般的には、エントロピー(混沌性、複雑性)を低減させる方向に向かう。社会は秩序化されなくてはならないし、人間と接する部分の自然は管理されなくてはならない。だが、一方で、人間は、芸能や祭りを必要とする。芸能や祭りとは、多くの場合、非日常であり、その非日常において、蕩尽が行われ、オルギーが出現する。そこでは秩序が崩壊するという意味で、エントロピーが増大している。自然の法則では、エントロピーは増大するわけであるから、人間が、日常のその活動を通じて一時的にそれを反転させていることは、どこかで埋め合わせられなくてはならないのだろう。伝統社会において、祭りや芸能が、一年のサイクルの中に組み込まれてきた意味とは、複雑性の変換の中においての意味がある。

 

一方、この芸術による複雑性の増大は、持続可能性の時代により重要な意味を持っている。それは、芸術による複雑性の増大は、質の問題を伴うということだ。持続可能性研究においては、量的な増大から質的な増大への転換を図ることが課題となっている[注1]。これまでの成長とは、量的な成長であった。だが、その成長は、資源の収奪を引き起こし、地球の限界がみえ始めている。そのような中で、成長概念そのものを見直すことが求められ、量的成長ではなく、質的成長が求められてきているのである。

 

もちろん、成長そのものを否定してしまう道もあろう。しかし、人間は、成長を求めるものである。いや、生物とは成長することを本質とする。個体としての生物の場合は、それが、死につながることで生の過程は円環するサークルとなっており、量的成長が無限に続くことはない。だが、人間社会の場合は、社会が死滅することは望ましくはないため、もし、人間社会が死滅することなく成長を続けようとするならば、成長概念を量から質へ転換することが必要である。

 

その時のカギの一つが、芸術である。芸術とは、複雑性の増大であり、質的成長そのものである。芸術において、エネルギーは芸術行為や作品に注ぎ込まれるが、それは量的成長ではなくして、質的成長そのものである。芸術的行為は複雑性に支えられている。芸術の神は細部に宿るといわれることがあるが、細部が洗練されればされるほど、それの過程は複雑になる。もちろん、それは目に見える複雑性であることもあれば、目に見えない複雑性であることもあるだろう。意志の集中力という意味での複雑性として細部が支えられることもあるはずだ。その意味で、質の問題とは、複雑性の問題である。

 

社会の一部に芸術が存在することは、そのような質的複雑性の回路をシステムが持つことであろう。沖縄のシマに芸能が根付いていることは、シマが複雑性への途を保持していることであるといえる。このプロジェクトは、地域芸能の持続性を問題にしている。だが、それが問題にしているのは実は、地域芸能の問題だけではないはずだ。同時に、それは、複雑性への回路である芸術を問題にしていることで、地球の持続可能性を問題にしている。

 

※沖縄県立芸術大学『地域芸能と歩む 2020-2021』沖縄県立芸術大学、2021年。

[注1] Fritjof Capra and Pier Luigi Luisi, The Systems View of Life: A Unifying Vision, Cambridge: Cambridge University Press, 2014, Chap. 17.