越僑のこと

ハノイにて、ベトナム

越僑(べっきょう)、ベトナム語では「Việt Kiều」と綴ります。漢字を見ると華僑を連想される方もいらっしゃるでしょう。海外に暮らす国籍放棄者を指して使われることが多い言葉です。ベトナム政府は国籍放棄者であっても越僑という区別を設けている特別な存在です。この越僑の存在のことで、いくつか思い出話を書きたいと思います。

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もう30年近く前にことです。大学生だった私はロサンゼルスに旅行に行きました。ハリウッドのあたりだったかでバスを待っている時に、一人のアジア系の男性から「あなたは日本人ですか?」と英語で話かけられ、バスが来るまでの間話をしました。彼は親と小さな雑貨店をやっている、というようなことを話してくれました。かなり訛りのある英語であったことが記憶に残っています。ロサンゼルスにベトナム人街があることを知ったのは、それからずっと後でした。

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その数年後なので、これも30年近く前のことです。私はパリの郊外に滞在していました。毎日使っていたメトロの駅の近くに素敵なお花屋さんがあって、小さなドライフラワーのブーケが飾られていました。ちょうどいいお土産になると思いいくつかオーダーしようと花屋に入りました。英語で話してもフランス語で返事をされるパリ。でも、花屋の女主は英語で返事をしてくれるとほっとできる人でした。帰国間際にオーダーしたブーケを取りに行くと女主は「あなたは日本人でしょ?あなたと話がしたい人がいるの」と言い、一人の小柄なアジア系の女性を店の奥から連れてきました。この花屋の下働きをしている女性でした。そのアジア系の女性は、私の手を握って何やら話をしてくれたのですが、それが何語であったのか覚えていません。その小柄な女性はベトナム人で「日本人にお礼が言いたい」という話だったように思います。1975年に終わったベトナム戦争後にボートピープルとなってベトナムを後にした人たちの多くは、国連が香港に作った難民のためのセンターに集められて第三国に渡ってきました。そのセンターに収容するための人の数があまりに多かったこともあり(理由はそれだけでなかったかもしれませんが)、兵庫県姫路市にもたくさんのベトナム人が手続きのために収容されて第三国に渡っていたということを知ったのも随分後のことです。

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私は10年ちょっと前に青年海外協力隊員としてベトナムに赴任し、越僑の親戚がいるいう友人が何人もできました。ある友人のところにはアメリカにいる親戚から高価なものがドンドン送られてきていました。パソコン、デジタルカメラ、バイクを買うためのお金も送金してもらったと聞きました。アメリカにいる親戚はアトランタに住んでいるとのことで、一度写真を見せてもらいました。そこには、ハリウッド・スターが住んでいそうな豪邸が写っていました。親戚の中には弁護士や医者になった人が何人もいて「一族のためにアメリカに来なさい」と言われていると、友人は言いました。結局、その友人はベトナム人男性と結婚してアメリカには行っていませんが、彼女が結婚した時にアメリカから家の建築資金が送られてきました。

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風人土学舎の学習支援教室で学んでいた女の子がまだ中学生の頃でした。色々と課題のある家庭の子でつらいことがあると「大きくなったら越僑と結婚して外国に行く」とよく言っていました。彼女は「越境は白馬の王子様」と想像していたのだと思います。

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一口に「越僑」と言っても経済レベル、教育のレベルは様々です。すべての越僑が成功者ではないはずです。しかし、憧れを感じてしまうような越僑の話を見聞きすることで「海外に行けばなんとかなる」という思いを持つ人が相当数いるのがベトナム社会だと感じています。

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投稿者プロフィール

高木佳子(Takagi Yoshiko)
高木佳子(Takagi Yoshiko)風人土学舎 日本事務局担当
ベトナムのフエ市在住歴延べ6年。風人土学舎では、日本の事務局業務とフエ市での活動全般のコーディネーションを担当しています。