ぼくにとってのブルキナファソ三部作 第1回 川田順造『無文字社会の歴史』

ブルキナ1

 

 

「ぼくにとってのブルキナファソ三部作」というタイトルを掲げたが、別にぼくが「ブルキナファソ三部作」を書いたというわけではない。ぼくが、つねづね「ブルキナファソ三部作」として愛読している本を紹介しようというわけだ。いわば「勝手に三部作」というようなもので、この手の「三部作」づくりというのは、だれでもできる。

 

本棚に、関連する本を三冊並べれば、そこに「ぼくにとっての〇×三部作」ができるわけだ。「1973年のピンボール」(村上春樹)のとなりに「万延元年のフットボール」(大江健三郎)を並べて、その隣に、「優雅で感傷的な日本野球」(高橋源一郎)を並べれば、「ぼくにとっての日本文学“ボール”三部作」が出来上がるし、「火星年代記」(レイ・ブラッドベリ)と「世界大戦争」(H・G・ウェルズ)と「ジョンレノン対火星人」(高橋源一郎)を三冊並べたら、「ぼくにとっての“火星”三部作」だ。松尾芭蕉の「奥の細道」とW.C.フラナガン著、小林信彦訳の「ちはやふる奥の細道」と、古川日出男の「ゼロエフ」は、「ぼくにとっての“東北細道”三部作」としてぼくの本棚に並んでいる。

 

その伝で、ぼくの本棚に並んでいる三冊のブルキナファソに関する本をぼくは勝手に、「ぼくにとってのブルキナファソ三部作」と名付けさせてもらっている。もちろん、村上春樹も、大江健三郎も、高橋源一郎も「ぼくにとっての日本文学“ボール”三部作」のことは知らないし、ブラッドベリもウェルズも高橋も「ぼくにとっての“火星”三部作」も知らないし、松尾芭蕉もフラナガンも古川日出男も自分の本が「“東北細道”三部作」としてぼくの本棚に並べられていることを知らないだろうから、この「ぼくにとってのブルキナファソ三部作」の作者たちも自分の作品が、ぼくによって、三部作として扱われていることは知らないはずだ。

 

その三冊が何かは、この「連載」で、おいおいと、書いていくが、その前段として、なぜ、ぼくの本棚に、ブルキナファソの本が三冊もあるのか、ということを書いておかなければならない。一般的に言って、ブルキナファソの本を本棚に三冊も持っている人は、それほど多くはないはずだ。むしろ珍しいと思う。

 

その発端は、文化人類学者の川田順造が書いた『無文字社会の歴史』である。1976年刊行だから、もう、半世紀近く前の本だ。ちなみに、この本は、「ぼくにとってのブルキナファソ三部作」のうちの一冊ではない。「ぼくにとってのブルキナファソ三部作」の一冊ではないので、この原稿のタイトルは第1回ではなくて、第0回にした方がいいのかもしれないが、それもややこしいので、第1回にしている。どうして、この川田の本がぼくの本棚にあるかを書いておくことが、この後の「三部作」の中身ともつながる。そこで、迂回路ではあるが、まず第0回ならぬ第1回では、この川田の本について書いておくことにする。

 

この川田の本は、大学時代に、先輩や仲間たちと始めた自主勉強会で読んだ本だ。ぼくは学生時代を文学部の日本史学研究室で過ごしたが、当時は、この研究室は「国史」研究室と言う名前だった。いま、国史研究室を名乗っている日本史研究室はどの大学にもないが、当時は、いくつかの大学にその名前を使っている研究室があった。大時代的な名前だ。国史とは、近代の国民国家形成期の明治国家の名残がする。いや、それ以前に、「六国史(りっこくし)」という奈良時代以来の「国史」もあるわけだから、古代以来の伝統的な名前だ。そのような名前を冠した古色蒼然たる研究室だった。

 

古色蒼然たる研究室だったので、あらゆるものが古色蒼然としていた。本棚に並んだ本は飴色だった。古色蒼然としていた中には、国史以外の理論を用いることを禁じる、というしきたりがあった。決して明文化されてはいないのだが、卒業論文に、国史以外の理論を用いることは許されていなかった。なぜそんなしきたりができたのかはわからない。もしかしたら、その一時代前まで一世を風靡していたマルクスの史的唯物論への揺り返しかもしれない。

 

ある時期の日本の歴史学界では、マルクス主義理論によってあらゆる時代を説明しようとしていた。古代以来現代に至る道は、生産関係と生産手段の矛盾発展によって説明されていた。ぼくがその国史研究室で学んだ頃には、史的唯物論の時代は過ぎ去っていたが、その時代への拒否感が強かったのだろうか。

 

史的唯物論には、当時、学問的な意味づけと同時に、政治的意味付けがあった。現実社会における政治的力争いが、学問の世界にも持ち込まれていた。史的唯物論のシンパと史的唯物論を信奉しない派との争いがあった。その争いは表立って行われた争いというよりも、学問の裏側で戦われていた争いのようでもあったようだ。そんなこともあって、国史以外の理論が禁じられたのだろうか。誰も、そのことについては、説明しようとしなかった。教授たちもそのことについては、口をつぐんでいるように見えた。不文律、というのはそういうものだ。

 

そんな、研究室だったが、研究室の先輩や仲間たちと行っていたぼくたちの自主勉強会では、いつしか、「国史」以外の理論を勉強する傾向が強まっていった。それは、正統に対する異端のようでもあり、緊張を強いられるものでもあった。こんな勉強会をしているところを発見されたらどうなるのだろう、という緊張感があった。勉強会は、地下活動のように行われた。ブルデューや、フーコーやレヴィ・ストロースが読まれたが、そのなかに、この川田の著作も入っていた。川田はレヴィ・ストロースの下で学んだのではないが、構造主義の強い影響を受けて書かれている。その流れで取り上げられたのであったか、あるいは、「無文字社会の歴史」という、一見すると矛盾するタイトルにひかれて取り上げたのであったか。

 

「無文字社会の歴史」とは挑発的な語だ。歴史とは、文字に書かれたものを普通は指す。歴史学科でも習うのは、文字に書かれた歴史をどう調べるかだ。しかし、歴史は、文字に書かれた歴史だけではない。文字のない社会にだって歴史はある。この本は、そんな風にぼくたちを挑発する。そのような問いは、歴史学の研究室では言葉にすることは不可能だった。そこで、研究されていたのは、あくまで文字に書かれた歴史であって、それ以外の歴史は存在しなかった。だから、国史研究室で、無文字社会という語を発する人は当然ながら誰もいなかった。だからこそ、この本は、ぼくたちをひきつけたのかもしれない。

 

で、「無文字社会の歴史」という本だが、この本は、ブルキナファソの歴史を書いた本だ。ブルキナファソは無文字社会である。そんな無文字社会のブルキナファソで、王様たちがどのように、その王家の歴史を記憶しているかを書いた本だ。ブルキナファソには文字がない。文字がないのに歴史は記録できるのか。無文字社会とはそもそもどんな社会なのだろう。川田は、その世界の中に入り込んだのだが、そこに入り込むとはいかにも秘密めいている。この本には白黒のわずかの写真しかない。それが想像力を掻き立てた。

 

文字がないのに、どうして過去が記録できるのか。できるのである。過去は、文字だけでなく、歌やメロディーに残されている。ブルキナファソの王家では、歴史を残すのは歌詞のある歌ではなく、太鼓の調べである。王家のお抱えの太鼓楽師たちが奏でる太鼓のメロディー。のちに川田は、それを「太鼓ことば」と呼ぶが、歴史は、太鼓のメロディーの中に隠されている。ある王を象徴する太鼓のメロディーの次に、別の王を象徴する太鼓のメロディーが来ると、それは、その二人の関係が親子や継承関係にあることを示す。映画のテーマ音楽のような感じだ。

 

それ以外にも、無文字社会の中に歴史は、そこここに、豊富に残されている。墓の場所、王の名前、縁戚関係。それらを、細かくほぐしていくと、歴史が現れる。川田はそれを丁寧に調べ上げ、論理によって明らかにした。川田が、断片的な痕跡から、過去の歴史を組み立てるさまは、まるで、探偵の行う作業や推理小説のようだ。その方法にすっかりと魅了された。

 

加えて、川田の文章の独特さ。フランス語で、エクリチュールという言葉があるが、この言葉には、書かれた文章の襞(ひだ)の在り方というようなニュアンスがある。川田の文章は、その襞(ひだ)の在り方が特融で、それと、ブルキナファソという、行ったこともない、見たこともない、聞いたこともない国のエキゾチックなイメージが組み合わされ、強烈な印象を残した。そんなわけで、とにかく、この本は忘れられない本となり、すっかりとブルキナファソという名前は、頭の中に強く焼き付けられた。

 

とはいえ、当時、ブルキナファソのことを日本語で書いていたのは、ほぼ、川田一人だけだった。ほかに情報もなく、ぼくの本棚では、長く、この川田の本が、ブルキナファソに関する本の「単独峰」として孤高を保っていた。

 

(つづく)

 

川田順造『無文字社会の歴史――西アフリカ・モシ族の事例を中心に』岩波同時代文庫、2001年(初出1976年、写真は1990年の岩波同時代ライブラリー版)

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風人土学舎 日本事務局
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