どちらの家が好き?

ベトナムのトゥアティエン・フエ省の山間地にある少数民族の集落での話です。「安全と思う基準」、「心地よい家」とはどんなものなのか?ちょっと考えさせられた思い出でもあります。下の写真は、この集落の村長さんのお家です。

丘陵地の家、ベトナム・フエ省

レンガ、コンクリート、トタン屋根の家

レンガを組んでコンクリートで壁が塗られています。屋根はトタンで出来ています。この家には、40歳代の村長さん夫妻と村長さんの両親と子ども、三世帯が暮らしています。しかし、いつ行っても村長さんのご高齢の両親の姿を見ることがありませんでした。おじいちゃん、おばあちゃんはいつ行っても「あっちの家にいるから」と言われました。「あっちの家」が見たいと言うと案内してもらった家が下の家でした。

少数民族の家、ベトナム・フエ省

パコ族の家

竹で組まれていて、全体が草で編まれたような家。この家は、おじいちゃんがパヒ族、おばあちゃんがパコ族で、村の人からは「パコ族の家」だと聞かされました。

「どうして、『パコ族の家』が好きなの?」

と、おじいちゃんに聞きました。雨降りの日だったせいもあり、

「コンクリートの家は床が冷たくて寒い。雨が降るとうるさい。だから、『パコ族の家』が好きなんだよ」

パコの家に暮らすおじいちゃんとおばあちゃん

パコ族の家に暮らすおじいちゃんとおばあちゃん

と、おじいちゃんはベトナム語で答えてくれました。その様子をおばあちゃんは、ニコニコしながら聞いていました。おばあちゃんは、ベトナム語を話すことが出来ませんでした。少数民族は、それぞれが民族の言葉を持っています。フランスの植民地となっていた時期から平野に暮らすベトナムの多数派民族であるキン族の言葉、つまりベトナム語が入って来るようになりました。長い間、学校教育はベトナム語、家では民族の言葉という具合に言葉を使い分けています(学校教育でベトナム語が入ってきた時期については、また別の機会にご紹介しようと思います)。しかし、ベトナム語を学ぶ機会がなかった人たちも存在していて、おばあちゃんはパコ族の言葉しか話せない人でした。

現在、災害に強い家に住むようにと人民委員会(注1)から通達が出されていて、レンガやコンクリートを使って家を建てるように指導がされています。そうでない家に暮らしていると「低利でお金を貸すから家を建て替えなさい」とまで言われると聞きました。指導を受けなくてもいいようにするためか、こういった伝統的な形の家は集落の奥まったところにひっそりと建っていました。

折衷案とでもいうのでしょうか、下のような写真の家もありました。

少数民族の集落の家、ベトナム・フエ

コンクリート製の家の横に伝統的な家を付け足している

この家も三世代の同居で、おばあちゃんはコンクリート製の家では嵐の日に怖くて寝られないと話してくれました。このおばあちゃんもベトナム語は話せない人だったので家族のベトナム語を話せる人に間に入ってもらってのインタビューでした。てっきり、トタン屋根にたたきつける雨の音が怖いのだろうと思って話を聞いているとどうも違いました。

「コンクリート製の家は風で揺れない。昔の家は風で揺れるから安心だ」

と、おばあちゃんは自分の感覚を説明してくれました。「パコ族の家」に暮らすおじいちゃん、おばあちゃんも嵐の日こそ「パコ族の家」にいたいと話してくれました。

パコ族のおばあちゃん、ベトナム・フエ

パコ族のおばあちゃんと通訳をしてくれた孫娘とその赤ちゃん

「安全」と思う基準や「心地よい」と思う感覚は、風土によって異なっていることと思います。おじいちゃんとおばあちゃんの世代は、森の中で集めることの出来る材料で家を建て、道具を作り、焼き畑農業をして暮らしていた経験がある世代です。森の中で暮らしていた時の感覚がいつまでも残っているのかもしれません。

「パコ族の家」のおじいちゃんとおばあちゃんから聞いた話はまだあるので、またの機会に続きを書きたいと思います。

※写真はすべて2017年に撮影したものです。

(注1:人民委員会は、日本で言う役所のことを指す。ここでは、この集落の村役場)

投稿者プロフィール

高木佳子(Takagi Yoshiko)
高木佳子(Takagi Yoshiko)風人土学舎 日本事務局担当
ベトナムのフエ市在住歴延べ6年。風人土学舎では、日本の事務局業務とフエ市での活動全般のコーディネーションを担当しています。