活動地域:ベトナム中部 トゥアティエン・フエ省
風人土学舎の活動地の1つは、ベトナム中部に位置するトゥアティエン・フエ省(以下、フエ省)です。西から東に向かって、ラオス国境の急峻なチュオンソン山脈、丘陵地、平野(氾濫原と海岸低地)、インドシナ半島最大の汽水域タムザン・ラグーン、東シナ海へと続きます。フエ省の面積490.2千ヘクタールのうち、298.6千ヘクタールが森林です。この森林のうち、203.1千ヘクタールが天然林、95.5千ヘクタールが植林地とされています(ベトナム統計局, 2016)。
気候条件:熱波と洪水
ベトナム中部の気候は、熱帯雨林気候に区分されます(北部や南部はサバンナ気候)。年平均降水量は3,118mm(ベトナム統計局)です。その特徴は、熱波と洪水です。5月からチュオンソン山脈にあるラオバオの峠を越えてタイ東北部やラオス中部から熱風が吹き抜けるため、「人が狂う」と言われるほどの暑さになります。9月中旬から翌年1月頃までが雨季となり、台風も頻繁に上陸します。水力発電ダムや治水ダムがつくられるまでは、毎年季節的な洪水に見舞われ、時には災害の規模になりました。特に、1999年の歴史的な洪水被害の記憶は、フエの人々の心に深く刻まれています。屋根に上がって何日も救助を待った人や「死んだ魚のように亡くなった人がたくさん浮かんでいた」という様子を記憶している人もいます。
文化と経済の回廊に位置して
フエ省の省都であるフエ市はグエン朝の王宮が置かれたベトナムの古都で、王宮や陵墓がユネスコ世界文化遺産に指定されています。「宮廷料理や庶民料理などベトナムの中でも美食の街として知られ、国内外から多くの観光客が訪れる観光都市でもあります。人びとの往来は空路だけに限りません。タイ東北部からラオス中部、ベトナム中部をを結ぶ東西経済回廊にあるため、陸路での人びとや物資の往来が盛んになっています。
戦争の記憶
ベトナムと聞けば、1975年に終結したベトナム戦争を思い浮かべる方も多いでしょう。戦争当時、フエ省は南北ベトナムの軍事境界線の近くに位置し南ベトナム側に属していました。とはいっても、すべての人が南ベトナム側に属していたわけではなく、一人一人の心情は大変に混沌としていた様子です。そして、山間地には、北ベトナムから南ベトナムへ解放戦線への物資補給路としていたホーチミン・ルートの一部がありました。山間地では、天然林にナパーム弾や枯葉剤が投下されたり、多くの犠牲者がでる激戦もありました。ここを暮らしの場としていた少数民族たちも戦乱に巻き込まれて、国境を越えてラオス側に疎開したり、少年兵になった人たちも少なくありませんでした。
貧困の固定化と格差の増大
フエ省を含むベトナム中部は、国内でも有数の貧困地域としていられています。急速な経済発展のもとで、都市と農村そして主要民族(キン)と少数民族との間の貧困格差が大きくなっています。焼き畑農業と物々交換で成り立っていた暮らしが「現金が必要な暮らし」に変わるなかで、農林業のための借金で土地を失う人や金銭的な豊かさを求めて出稼ぎに出る人が増えつつあります。
都市部でも同様に貧困格差の増大と固定化が進んでいます。最近顕著なのは、働き手である大人が南部のホーチミン市などへの出稼ぎに出るケースが増えています。このため、局地的ではありますが、地域社会の少子高齢化が進んでいるように感じます。
[参考資料]
Genetral Statistics Office of Vietnam(2016). Statistical Yearbook of Vietnam 2016.
https://www.gso.gov.vn/default_en.aspx?tabid=515&idmid=5&ItemID=18533
(閲覧日:2019年12月10日)
Genetral Statistics Office of Vietnamデータベース’Monthly rainfall at some stations’より2009年から2018年の平均を算出
https://www.gso.gov.vn/default_en.aspx?tabid=773
(閲覧日:2019年12月10日)